我が家に来てすぐ、福千代はやたらと耳をかくようになった。耳の中は汚れていないので耳ダニではなさそうだ。しかしあまりにもかゆそうだったので、近所の動物病院に連れて行った。
綿棒で耳垢を取り、顕微鏡で見ること3回、やっと小さい虫を発見し、薬を塗ってもらった。カルテを作るのに、福千代が生まれた月を聞かれた。
この子は一人でやってきて家に住みついたので分からないと答えると、獣医さんは少し離れたところから福千代をじっと見て「2月後半」と言った。しかし徐々に近づきながら「3月前半」「4月前半」となり、最後に口を開けて歯を見て「4月後半」と結論した。体が大きいのでもう6ヶ月ぐらいかと思っていたが、まだ4ヶ月だったのだ。千歳が亡くなったのが4月30日だから、福千代はその頃生まれたということになる。
再び千歳の生まれ変わり説が浮上した。
新聞を読んでいた時、ふと気が付くと福千代がお座りをして少し離れた所から私をじっと見ていた。不思議なことに、その顔は亡くなった千歳にそっくりだった。私は「福ちゃん」と声をかけた。福千代は呼べば必ず返事をする猫だったが、その時は完全に無反応だった。微動だにせず、無言で私を見続けていた。私はためしに「千歳」と呼んでみた。すると「ニャー」と返事して私の方に駆け寄ってきたのだ。
これは一体どういうことなのだろうか? やはり福千代は千歳の生まれ変わりか? しかしそうではないことが程なくしてわかった。
それは夜中トイレに起きた時のことだった。ずっと一人暮らしだったので、ドアを開けっぱなしで用を足すことが多かった。寝室の戸とトイレのドアを両方開けていると、トイレからベッドがよく見える。ベッドの上で寝ていた福千代がベッドから降りたのが見えた。さっきつけた電気スタンドの光がまぶしかったのだろうと思った。ところが戻って見ると、福千代はベッドの上でぐっすり眠っていた。
(え? じゃあ、さっき見た猫は?)私はベッドの下を覗き込んだ。何もいない。しかし間違いなく、ほんの数十秒前に猫が一匹ベッドの下に降りたのを私は見た。白っぽい猫が……
たぶんそれは千歳だったのだろう。福千代が家に来る前、私は二夜続けて千歳の霊を見た。
最初の夜は千歳のお骨を置いたテーブルの上で、かすむ目に白い猫の姿がぼんやり見えた。その時は意識が眠りから完全に覚めていない状態だったので、見まちがいかもしれないと思った。
次の夜はお骨をベッドの上、私の枕の右に置いて寝た。そこは千歳がいつも寝ていた場所だった。前日の夜はお骨が置いてある場所で千歳の霊かもしれないものが見えた。もしかしたら死んで間もない霊はお骨から離れられないのかもしれない。もしそうなら少しでも私に近い場所に置いた方が千歳は喜ぶのではないかと考えたためだ。
千歳が逝ってから私は眠りが浅くなり、夜中に目が覚めることが多く、その夜も2時ぐらいに目が覚めた。そして枕の右を見た。今度は意識も目もはっきりしていた。千歳が生前と変わらぬ姿でそこで寝ていた。
「千歳」と声をかけたが起きない。すやすや眠っている。私は手を伸ばし、千歳に触れようとした。しかし手は千歳の体をすり抜けてしまった。よく映画やドラマで、生きている人間の体が霊の体をすり抜ける場面があるが、あれは本当のことだったのかと思った。
触れることはできなくても、愛しい姿をずっと見ていたかった。目に焼き付けておこうとじっと目を凝らしていたが、悲しいことに千歳の姿は次第に薄れてきた。
「だめ、消えないで!」と心の中で叫び、意識を集中してその場所を見続けていると再び見えるようになった。しかしそれも長くは続かなかった。すぐにまた薄れて見えなくなり、いくら目を凝らしても、千歳の名を呼び続けても、もうその夜は見ることができなかった。
またある時は、姿は見えないが音で千歳の存在を知った。
私はベッドに入るとすぐには電気を消さず、しばらく本を読むのだが、シーンと静まり返っているところに突然、布団の上に何かが落ちたような「バサッ」という大きな音が響いた。これにはさすがに驚き、心臓が激しく鼓動した。千歳は生前私がベッドに入るとすぐに追いかけてきて一緒に寝たが、羽毛布団の上に猫が飛び乗ると結構大きな音がするものだ。それと全く同じ音がこの時聞こえたのだ。
福千代が来たあとも千歳の霊が現れるということは、福千代は千歳の生まれ変わりではないということになる。ではなぜ福千代はことごとく千歳と同じ行動をとり、初めて家の中に入った時に匂いを嗅ぎまわることもなく、長年住み慣れた家にいるかのようにくつろいでいたのだろう。なぜ千歳とそっくりの顔になった時に「福ちゃん」では反応せず、「千歳」に反応したのだろう。
非科学的だと笑われるかもしれないが、私には千歳が福千代の体に入り、私の所に自分の後継者を連れてきたとしか思えないのだ。千歳の死後、私が余りにも悲しみ泣いてばかりいたので、私を慰めるために福千代を導いて来たのではないだろうか。
自分が死んだあと、飼い主が新しい猫を迎えてこれを溺愛するのを見るのは、とても寂しいことだと思う。しかし千歳にとっては私が悲しんでいることの方がつらかったのだ。自分の感情を犠牲にして私の幸せを優先してくれたのだ。私のような至らぬ飼い主をこれほど広い心で愛してくれたことを、私は今でも感謝している。これからもずっと感謝し続けるだろう。
この後も千歳の存在を感じることは数回あった。なかなか決心がつかず、千歳のお骨を10年もそばに置いてしまったためかもしれない。私の思いが強すぎて、行くべき所へ行くことが出来ないのではと心配したが、それでも私の所に来てくれたことが嬉しく、「千歳、いつまでも愛してるよ」と、目には見えないがはっきり気配を感じる所に向かって言った。
吹雪の夜、千歳が車の中で…… 吹雪の夜
ベッドに度々現れる千歳……死んだ後も一緒に寝る