初めての猫

千歳はまだ2か月ぐらいの子猫の時、家に来た。怪我をしていたところを、一緒にいた兄弟猫とともに保護したのだが、アパートはペット禁止だったので、怪我が治れば里子に出すつもりだった。

すぐに子猫を欲しいという人が現れ、千歳を見て気に入ってくれたのだが、まだ抜糸も済んでいなかったので、健康面で問題のない兄弟猫の方をもらっていただいた。

それ以降猫の引き取り手は現れず、完全に情が移ってもう手放すことができなくなっていた私は内心これを喜び、正式に飼うことにした。昔から猫を飼いたいと思っていたが、なかなかその機会はなかった。友人の猫を3日間預かったことはあるが、飼うのは初めてだった。長生きしてほしいという願いを込めて「千歳」と名付け、ペット可のM荘に引っ越した。

私は大学を卒業してからずっと一人暮らしだが、それまで一人でいることを寂しく感じたことは一度もなかった。某ドラマの独身男のように一人を謳歌していた。

しかし千歳と暮らすようになると、千歳の思いがけない行動に笑わされ、あどけない寝顔や可愛い仕草に心癒され、私のようなものを慕ってくれることが嬉しく、命あるものがそばにいるということが、これほど生活に輝きを与えるものなのかと驚かされた。友人は千歳と暮らすようになって私が前より生き生きしていると言った。一人の時も十分に生き生きしていると自分では思っていたが、それ以上のエネルギーを千歳は私に与えてくれているようだった。

しかし良い事ばかりではなかった。その頃は時間的にも経済的にも余裕がなく、心のゆとりがないために千歳の些細な失敗に苛立つこともあった。

当時は車がなかったので、買い物はもっぱら自転車で行った。キャットフードやトイレ砂が売っているホームセンターは自転車で30分ぐらいの所にあり、往復に時間がかかるのに加え、自転車の前かごにはあまり荷物が入らないので、千歳の物を買うと自分の食料品があまり買えず、頻繁に買い物に行かなければならなかった。

また千歳の毛がいつも私の服にべったりと付いていたので、出かける前にガムテープで毛を取るのに時間がかかり、余裕をもって出かけるという習慣のない私は「あ~、もう!」とぶつぶつ言いながら慌てて出るという悪習に陥っていた。

千歳は顔を撫でると喉をゴロゴロ鳴らして喜んだが、体に触れると噛んだり引っかいたりした。お尻の毛についたうんちを取ろうとしたのに噛みつかれるのは心外で、イライラしている時は「あんたなんか拾ってくるんじゃなかった」とひどいことを言ってしまった。

すぐに後悔して謝ったが、今思い出しても心が痛む。本心ではなかったが、おそらく千歳は言葉の意味を理解し、傷ついたことだろう。

実は千歳を保護した時、友人も一緒だった。私のアパートはペット禁止だし、彼女の家にはすでに2匹の猫がいて、これ以上は飼えないと言った。しかし怪我をしている千歳を見捨てることはできず、とりあえず病院に連れて行き、私のアパートでしばらく養生させるが、里親探しは彼女もやるということになった。

だが彼女は里親を探すことなどしなかった。少しはしてくれたのかもしれないが、里親探しに関する話題が一切なかったので、たぶん本気で探す気はなかったのだろう。

私としては1日一緒にいただけで離れることができなくなってしまったので、内心は里親が見つからないことに安堵していた。しかし私という人間は恐ろしく身勝手で、普段は千歳の存在を喜びながらも、忙しくて世話が大変な時や、わがままでごはんを残した時など、イライラして千歳のことを“押しつけられた猫”と思うことがあった。

愚かで不寛容で傲慢な私を罰するために、神様はわずか5歳という若さで千歳を召したのではないかとつくづく思う。

千歳の死後、ホームセンターに行ってペット用品の売場を素通りするのはつらかった。もう買う必要がないのだ。もう何もしてやれることがないのだ。そう思うと涙がとめどなく流れた。

千歳が逝って初めて分かった。千歳のために遠くまで買い物に行くこと、千歳のトイレ掃除をすること、噛みつかれながらブラッシングすること、それら全ては私の生甲斐だったのだ。なぜ負担になど思ったのか、自分の愚かさに辟易する。千歳のために何もすることがなくなり、時間もお金も自分のためだけに使えるようになっても、少しも嬉しくはなかった。ただ虚しいだけだった。千歳がいなければ生きていけない。私は千歳の小さな体に支えられて生きてこられたのだ。

この痛い経験の後、福千代はやって来た。そのため福千代の世話をすることがどれほど幸せなことかを十分理解していた。自分が食べるより先に福千代にごはんをあげること、福千代の足跡で頻繁に汚れる床を拭くこと、福千代のトイレを掃除すること、どれも苦ではなかった。福千代が好き嫌いをしても全く腹が立たなかった。黒いセーターに福千代の白い毛が付いたままでも平気で仕事に行った。

そばにいてくれる、世話をさせてくれる、それだけで幸せだった。命の灯が消えた体の冷たさを経験した私には、福千代の吐息と温もりを感じながら眠るのは無上の幸せだった。

「ママの所に来てくれてありがとう」
この言葉を私は何度言ったか分からない。福千代に対してだけではない。亡くなった千歳に対しても、千歳を思うたびに心で語りかけた。そして「福ちゃんを連れてきてくれてありがとう」とも。

千歳の時の反省から変わったことの一つに写真を撮ることがある。

私は自分が写真を撮られるのが嫌いなので、写真には全く関心がなく、カメラも持っていなかった。千歳が病気になって初めて、千歳の写真が1枚もないことに気づいた。インスタントカメラでも買って今すぐ千歳を撮ろうかと思ったが、痩せてガリガリになった千歳を写すのは忍びなく、元気になったら撮ろうと考えていた。しかしそれを実行することは永遠にできなくなった。

千歳の写真を1枚も撮らなかったことをずっと悔やみ続けた私は、福千代が来てすぐにカメラを買った。しかし可愛いポーズ、面白い仕草、たくさんシャッターチャンスがあるのに上手く撮れない。近くでカメラを向けると福千代はこちらに来てしまうし、「今だ!」と思ってシャッターを押しても、写ったのは違う動きだったりする。納得のいく写真は20枚に1枚ぐらいだ。

それでも福千代が写っていればそれでいい。ピンボケしていても、顔が半分しか映っていなくても、福千代が写っているだけで嬉しかった。

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