ノラ猫の休憩所M荘で

私が猫を飼っていると言うと、拾ったのか、それとも貰ったのかと聞かれたことがある。答えはそのどちらでもない。ではペットショップで買ったのかというと、それも違う。ある日突然玄関から入ってきてそのまま住みついたというのが真相だ。

当時私が住んでいたM荘というアパートは、1階部分が大家さんの婿さんが経営している工務店の資材置き場で、2階が賃貸用の住居になっており、2Kが2部屋あるだけの、こじんまりした造りだった。非常に古いうえに、大家さんは建物の修繕に余計な費用をかけるつもりは全くないらしく、はがれかけた床もサビで腐食した鉄骨の柱も放置された状態だった。北側と東側は神社に面しており、南側の裏山にはうっそうと木が生い茂り、昼間でも薄暗かったので、私を訪ねてきた知人女性が「私こんなコワイ所に住めない~」と言ったほど、陰気で悲壮感ただようアパートだった。このような所に住もうと考える酔狂な人間は私ぐらいなもので、隣の空き部屋にはこの先も入居者が現れないと察した大家さんは「荷物置き場にでも使えばいいよ」と言って、隣の鍵も渡してくれた。そのためアパートではあるが一戸建てに住んでいるような感覚で、古いが静かな環境と安い家賃が魅力だった。

神社の敷地内には数匹のノラ猫が暮らしていた。ご近所に住むと思われる女性が犬の散歩で現れると、広い境内のあちこちから猫たちが一斉に集まり、その女性から餌をもらっていた。そのうちの4、5匹がアパートの廊下によく来ていたので、私は隣家の猫嫌いの奥さんに見られない場所に、キャットフードと水を置くのが習慣になっていた。

この奥さん、庭に糞をされたり車に猫の足跡が付くのが許せないと言って、猫たちに餌をあげていた女性をつかまえて、すごい剣幕で怒鳴っていたことがあった。そのあまりの凄まじさに恐れをなした私はそれからというもの、猫に餌をあげていることを絶対に知られてはいけないと、細心の注意を払うようになっていた。

確かに糞害などの迷惑を被っている人にとって、ノラ猫に餌をあげることは許しがたい行為なのかもしれない。しかし猫をこよなく愛する人間は、飼い猫のように手厚い保護を受けられない猫を見ると、せめて食べ物だけでもと思ってしまうのである。

そんなある日、一匹の猫がアパートの階段の下からこちらをじっと見上げていた。私は一瞬ドキッとした。白地にキジトラのブチ。4ヶ月前に病死した愛猫、千歳と同じ模様だった。

初めて見たその猫は私と目が合うと、1,2秒おいてから階段を駆け上がってきた。このタイミングが千歳と同じだった。千歳はすぐには階段を上がって来なかった。まず私と目を合わせ、そのあと1,2秒してから駆け上がり「ニャー(ただいま)」と鳴くのだ。

私の前に来たその猫は、子猫というほど小さくはないが、まだ大人でもないオス猫だった。生後半年ぐらいと言ったところだろうか。外は霧雨が降っていたので、背中の毛に細かい水滴が付いていた。私が「あんた新顔だね。どこから来たの?」と言って背中をなでると、その猫は20㎝ぐらい開いていたドアから部屋の中に入っていった。

慌てて追いかけると、猫はベッドの横に置いてあるテーブルの下に潜り込み、床まであるテーブルクロスの下から前足をヒュッと出して遊ぼうとした。

そのテーブルは千歳のお気に入りの遊び場所だった。私がテーブルクロスの近くで猫じゃらしを振ると、千歳はクロスの奥から鋭い爪の出た前足を突き出して猫じゃらしを捕まえようと興奮気味に遊んでいたものだ。

(千歳と同じことをしている…)と思ったが、外へ出そうとクロスをめくりあげ、「入ってきちゃダメだよ」と言って猫を抱き上げた。私の腕の中で猫は喉をゴロゴロ鳴らした。時々家の中に入ってくる猫を抱き上げると、大抵もがいたり、恐怖で体が突っ張ったりするのだが、その猫はずいぶん人に慣れているようだった。どこかの飼い猫かもしれないと思った。

我が家に来た頃の福千代

外に出して1時間ぐらいたった頃、ドアを開けてみると、常連の猫たちの姿はすでになく、新参の猫だけが廊下に残っていた。いつも千歳がひなたぼっこしていた場所で、同じようにひなたぼっこしている。

私の姿を見るとムクっと起き上がり、再び部屋の中に入って来た。今度は奥の部屋の籐椅子に飛び乗り、毛づくろいをしてからゴロンと横になり、目を閉じた。

猫は普通、初めての場所は隅々まで匂いを嗅いで確認しないと落ち着かないものだが、その猫は一切そんなことはしなかった。部屋の中を見回すことすらしない。まるでずっとそこに住んでいたかのように、入った瞬間からくつろいでいた。

数か月後にこの子を始めて実家に連れて行った時に、ほふく前進で家中をクンクン嗅ぎ回ったことを考えると、やはりこの緊張感の無さが不思議に思われる。

家に入りたがっているのを2度も出すわけにはいかず、とりあえずその日は様子を見ることにした。

千歳が使っていたトイレを出してトイレ砂を入れていると、まだ入れ終わらないうちに入ってきておしっこをした。

これも千歳と同じだ。千歳は私がトイレ砂を補充していると急に尿意を催すのか、入れているそばからおしっこをしたものだ。砂のザザーという音とおしっこのジャーという音が同時に聞こえるのだ。

その夜私がベッドに入ると猫もすぐにベッドに飛び乗り、私の右で寝た。私の顔に自分の顔をぴったりくっつけ、喉をゴロゴロ鳴らしている。

なぜこうも千歳と同じ行動をするのだろう。私は千歳の死後かなり重症のペットロスになり、千歳の生まれ変わり以外猫は飼わないと決めていた。私が生きている間に生まれ変わるなど、そんな都合のいい話はありえないのだが、あまりのつらさに非現実的なことを信じようとしていた。

この子は千歳の生まれ変わりなのだろうか? いや、この子の大きさからするとまだ千歳が生きている時に生まれているはずだ。第一そんなに早く生まれ変わるわけはない。でもどうしてこれほど行動が同じなのか… 

頭は混乱していたが、久しぶりに感じる猫のぬくもりに胸が熱くなった。千歳が死んでまだ4ヶ月だというのに、他の猫を愛してはいけないと思いながらも、言いようのない幸福感がこみ上げてくるのを抑えることはできなかった。

翌朝、出勤する時猫も一緒に外へ出た。まだ残暑が厳しく、家の中に閉じ込めておくより外にいてくれた方が安心だった。多くの木が生い茂る境内は涼しいし、アパートの前は行き止まりで車が通ることもなかったので事故にあう心配もなかった。

夕方、仕事を終えて帰宅すると、部屋の前にあの猫の姿はなかった。買い物もせず急いで帰ってきたのに、なんだか力が抜けた。のろのろと鍵を開け、重い足取りで部屋に入った。

あの子はやはりどこかの飼い猫だったのだ。昨日はちょっと遊びに来ただけで、本当の家に帰ったのだろう。これでいい。私も千歳の生まれ変わり以外飼うつもりはなかったから、これで良かったのだ。そう自分に言い聞かせていた時、外で「ニャー」という声がした。いつも餌をあげていた常連の猫たちは私を呼んだことは一度もなかった。こんな風に鳴くのはあの子しかいない。

急いで玄関のドアを開けると、あの子がそこにいた。当たり前のようにまた部屋の中に入って来て、毛づくろいをしている。

嬉しかった。沈んだ心が一瞬のうちに喜びで沸き立つのを感じた。もうこの子と離れられない。出会って一日と数時間後、共に生きていくことを決心した。

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