別れ

外構工事が終わり、引越の片付けやらややこしい手続きなどが一段落して、やっと一息つけるようになった日、福千代の大好物の金目鯛を買ってきた。たぶん福千代は刺身の方が好きだが、生の魚はあまり消化がよくないので、軽く茹でたものを与えた。よほどおいしかったとみえて最初にあげたのを勢いよく食べ、おかわりを要求したので、次の日にあげる予定だった分もお皿に入れてあげた。

福千代の食欲が旺盛だと私は本当に嬉しい。随分痩せて足腰も弱ってしまったが、まだまだ大丈夫だろう。せめて20歳まで生きてくれれば… そう思っていた。

翌朝、福千代が初めてベッドで粗相をした。それまではヨタヨタしながらも必ずトイレに行って用を足していたのに、その日は自力で起き上がれなくなっていた。水をたくさん飲んでいても脱水症状になっていると病院で言われていたので、口元に水入れをもっていくと、勢い良くごくごく飲んだ。クリーム状の栄養食も夢中でなめた。すると力が出てきたようで、どうにか立ち上がることができるようになった。ベッドから降ろしてあげると、ヨタヨタしながらリビングに歩いていったので少しほっとした。

しかしその日は前日のように食欲はなかった。金目鯛の残りも少ししか口をつけなかった。

夜、ソファーで横になっている福千代のそばに行き「ママお風呂に入ってくるね」と福千代の前足にそっと手を置いた。すると福千代はサッと引っこめて逆に私の手の甲に自分の前足をのせて私を見上げた。それは「行かないで」という意思表示だった。おしゃべりな福千代が、この時は全く声を出さなかった。ただ黙って私を見つめていた。穏やかで、全てを悟ったような澄んだマリンブルーの目… この時、私には福千代の目は青に見えた。

後から気がついたのだが、福千代の目は青ではなく黄色がかった薄い緑なのだ。私の見間違いなのか思い違いなのか… 私の脳裏にはなぜか少し緑がかったマリンブルーの目が焼き付いている。そしてその目は涙でうるんでいた。悲しくてうるんでいたとは言い切れない。数か月前から涙が出るようになって、病院から目薬をもらって差していたからだ。しかしここ数週間、涙は止まっていた。やはり悲しみの涙だったのだろうか。

いずれにせよ、私にとっては一生忘れることのできない、美しくて悲しいまなざしだった。無言だが大切なことをはっきり伝えた雄弁なまなざし…

明けがた、福千代は息をひきとった。享年18歳と10ヶ月。

猫の平均寿命からすると長生きした方かもしれない。しかも悪性リンパ腫になって2年近くも生きてくれたのだ。よくがんばってくれた。これ以上望んでは福千代が可哀そうだ。つらそうな様子は見せなかったが、きっと苦しかっただろう。痛かっただろう。苦しみから解放されて良かったという気持ちはある。もういやな薬を飲まなくていいのだ。やっと楽になれたのだ。

けれど…… 最愛の我が子を失った私の思いはなかなか理屈通りにはいかない。あまり悲しんでいては福千代がつらい思いをする。それが分かっていても、どうしても涙が止まらない。福千代の骨壺を抱きしめ、号泣する日々が続いた。

もうずっと、福千代と出会ったあの日から、私はこの時が来るのを恐れていた。いつか別れはやってくる。どんなに愛してもいつか必ず別れなければならない。一日が過ぎれば一緒にいられる時間がそれだけ減っていくのだ。全ての命に限りがあるのだから、それは避けられない。そう自分に言い聞かせてきたが、その覚悟はまったくできていなかった。できるはずがない。福千代のいない生活など考えられなかったからだ。

18年間、いつも一緒だった。福千代が入院したほんの数日を除けば、ほとんど離れることはなかった。私はほかの誰ともこれほど長く一緒に暮らしたことはない。幾千もの日々が「おはよう、福ちゃん」で始まり、「おやすみ、福ちゃん」で終わった。家に帰ればいつも必ず福千代が出迎えてくれた。夜中ふと目を覚ませば福千代のあどけない寝顔が横にあった。そんな日常が完全に過去のものとして断ち切られ、未来にはつながらないのだと、どうして納得できるだろう。福千代がいないことが現実のことと思えない。

統計的に見れば長生きの部類に入るのだろう。けれど私にとって数字などあまり意味をなさない。もっと気をつけてあげればよかった、普段からもっと病気にならないよう、情報収集しておけばよかったと、後悔することばかりである。病気にさえならなければ、もっと長生きできたはずだ。ばかな飼い主だ、怠慢な飼い主だと、自分を責めてしまう。

しかしこんな私でも誇れることが一つだけある。それは心の底から福千代を愛したことだ。種を超えて、私はあの子を誰よりも何よりも愛した。自分の命より福千代の命を大切に思った。そのことは福千代も十分理解していたはずだ。18年間、福千代を愛さなかった日は1日もなかった。それはこれからも変わらない。福千代がこの世を去っても、いずれ私の肉体が滅びても、魂は永遠に福千代と千歳を愛し続けるだろう。時の続く限り、永遠に……

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