猫を愛する人が憧れる、“こうしてくれると嬉しいな~”という猫の行動が色々ある。ある人は一緒に寝るという、比較的難易度の低い課題をクリアできずに寂しい思いをしているかもしれない。またある人はリードをつけなくても自分にピッタリ寄り添って散歩してくれることを夢に見ている。それからあのフワフワなお腹に顔をうずめても拒まないでほしいという思いは、おそらく大半の愛猫家が共有する悲願だろうと私は勝手に決め込んでいる。
ありがたいことに福千代は私と一緒にいるのが好きなので、愛猫家たちの願望の多くを叶えてもらっている。しかし“お腹に顔をうずめる“ことは試していない。私を絶対的に信頼している福千代はそれを許してくれるかもしれない。でも、もしいやがったら…驚いて私に対する信用が揺らいでしまったら… そう思うと怖くて実行できないのだ。
そのほかにも“肩のり”が未経験だ。昔読んだ『What’s Michael?』というマンガではマイケルが時々飼い主の肩に乗っていた。きっとあったかくて猫の顔が首に当たってこそばゆいんだろうなと想像を膨らませていた。もし福千代が冬に私の肩に乗ってきたらそのまま出社しよう、ペットを連れてくるなと言われたら「これはただの毛皮の襟巻です」ととぼけようなどとバカな妄想までしていた。
それから“肩のり”と似たようなものだが“おんぶ”にも憧れていた。いつだったか、テレビで猫が飼い主の女性の背中にピョンと飛び乗り、女性が手を背中に回して猫の足を支えておんぶしているのを見たことがある。私は(いいなー)と羨望のまなざしで画面に見入った。猫の満足そうな顔、女性の嬉しそうな顔…胸がキュンキュンしてしまう。思春期の女の子がドラマの壁ドンやお姫様だっこを見て(私もされたい)とときめくのと同じくらいときめいてしまった。
福千代も過去に一度か二度、私の背中に乗ってきたことはある。嬉しかった記憶はあるが、最後の時から数年がたち、その感覚も忘れてしまっていた。しかし引越の片付けで背中を丸めてかがんでいた時、思いがけず福千代が私の背中に乗ってきた。
(ハァァァ~ ふ・く・ちゃん……)喜びに打ち震え、私はしばし恍惚状態になった。片付けの手は止まり、うっとり目を閉じる。福千代はずり落ちないよう、うまくバランスが取れる体勢を探してモソモソ動いていた。私はゆっくり上体を倒し、うつ伏せで畳の上に寝転がった。
こうすると”おんぶ”ではなくなってしまうが、急傾斜の不安定な状態でいるよりも長く背中にとどまってくれるはずだ。案の定、福千代は腹ばいになってじっとしている。私も福千代も無言だった。けれど互いの温もりを感じながら、心と心がしっかり結びついている安堵感があった。触れあっているところから暖かいものがじわじわ広がって、全身が幸福感に満たされていく……
福千代が背中に乗ってきた。ただそれだけの、こんな些細なことが私にはとても幸せに感じられる。福千代がいるかぎり、私はこの先も日々の何気ないことに喜びを見出し、満ち足りた思いで人生を送ることができるだろう。福千代さえいてくれれば…