埼玉に住んでいた時、セールスマンが訪問してきたことが何度かあった。無論最初からセールスで来たとは言わない。布団を売りに来た人は「今キャンペーン中で布団のクリーニングを無料でやっています」と言う。タダならお願いしようかと布団を玄関に持っていくと、中綿を確かめるためと称して縫い目を少しほどき、「ああ、この綿ではあまり暖かくないでしょう。いい羽毛布団があるのでお見せしましょう」と言って車から大きな荷物を運んできて、布団を広げるため部屋の中に上がり込んできた。そして数十万もする布団の売り込みにかかるのだが、布団にそんな大金を払う気など毛頭ない私はセールスマンの口車には決して乗らない。
「寒い布団で寝ると睡眠の質が悪くなりますよ」
「パジャマの下にババシャツを着て寝れば寒くありません」
「この値段は最初高く感じるかもしれませんが、本当に良い物なので孫の代まで使えてお得です」
「まだ独身で子供さえいないのに孫のことなんて考えられません」
といった具合に、延々と2時間以上も攻防が続いた。
いつまでも居座り続けるセールスマンを諦めさせるため「羊毛布団なら買ってもいい」と言ってみたら、「あ、羊毛布団もありますよ」と予想外の答えが返ってきた。羽毛布団しか持っていないと思って言ったのだが、実は羊毛布団に買い替えることは以前から考えていて、イトーヨーカドーで下見もしていたのだ。運ぶ手間が省けるのでこの人から買ってもいいかと思い、値段を聞くと少し高い。「羊毛ならヨーカドーで14800円で売っている。それ以下じゃなければ買わない」と言うと「う~ん」と困った顔で電卓をバチバチ叩いていたが、「わかりました。じゃあ14800円ってことで。布団は2,3日中に持ってきます」と商談成立して帰っていった。
しかし何日たってもその人は来なかった。まだ一銭も払っていなかったので別に損はしていないのだが、たぶん14800円では儲けがなくて上司に怒られたのだろう。諦めてヨーカドーで購入してしばらくたったころ、警察から電話があった。悪徳商法で捕まった業者が持っていたリストに私の名前や住所、電話番号が書かれていたというのだ。「何か被害はありませんでしたか?」と聞かれたが、セールスマンがほどいた布団の縫い目を縫い直したぐらいしか被害はなかったので、それ以上関与することはなかった。
また飛び込みではなく、事前に女性からアポ取りの電話が来るものもあった。「今水に関する簡単なアンケートをお願いしていて、協力していただいた方に竹炭をプレゼントしています」と言うのだ。別に悪い話じゃないので承諾して電話を切ると、しばらくして玄関のチャイムが鳴った。やって来たのは妙にオドオドした若い男性だった。東北の方のなまりでヘコヘコお辞儀をしながら自己紹介した後、眼鏡が雨で曇っていたのを、「あ、すいません、すいません」と謝りながらあわてて眼鏡を拭いている。眼鏡が曇っていることをなぜ謝る必要があるのだろう。営業に不慣れで緊張しまくっている地方出身の若者という感じだが、度が過ぎているのでわざとらしい。
アンケートに答えるだけなら玄関で十分だと思っていたら、水道水の検査をしたいので台所に入らせてもらってもいいですかと尋ねてきた。台所に案内するとカバンから容器を取り出し、その中に水道水を入れて何かの反応を見ているようだったが、思った通りの反応が出ないらしく、「あれ?あれ? すいません、もう一回やってもいいですか?」「あれ?変だな。もう一回いいですか?」と繰り返し、3度目でやっと思い通りの反応が出たようで、「塩素濃度が高いですね」などと言う。そしてカバンの中から今度は浄水器を取り出してセットし、浄水器から出た水に塩素反応が出ないのを私に確認させて浄水器の性能を説明する。どうやら訪問の目的はアンケートなどではなく、浄水器を売りつけることのようだ。
このような小細工をされると、たとえどんなにいいものだったとしても意地でも買いたくなくなってしまう。私がアンケートをするんじゃないのかと言うと、テーブルがある所がいいと言うので奥の部屋に通した。セールスマンは本棚にあった『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』という塩野七生氏の著書に目を止め、「こういうのがお好きなんですか?」と尋ねた。当時私もまだ若かったので退廃的な一族に興味があり、ボルジア家に関する書籍が何冊か本棚に入っていた。セールスマンがこの歴史上の人物を知っていたかどうかは分からないが、私がチェーザレ・ボルジアの話をすると「じゃあ、GACKTとか好きでしょ?」と聞いてくる。「そうそう、いいよね、GACKT。それからラルクアンシエルのhydeとかも」と私が言うと、セールスマンはちょっと物憂げな風情を醸し出し、クールなしゃべり方をするようになった。声のトーンは最初の自己紹介の時より1オクターブ低くなり、いつの間にかなまりは消えて完璧な標準語になっている。路線変更したらしい。
セールスマンはアンケート用紙を取り出し質問してきたが、私が一つ答えるたびに水道水の危険性や浄水器の性能の良さについて長々しゃべるので、またもや2時間以上が経過していった。その日は何も予定がなかったので暇つぶしにはなったが、買う気がないのに期待させても悪いので、途中何度も「買わないよ」と意思表示した。だがそれぐらいで引き下がらないのがセールスマンである。「健康にこれだけ必要なものなのに買わない理由は何ですか?」と聞いてくる。「高いから(確か30万ぐらいだったと思う)」と私が答えると、すかさずローンの話を切り出す。「毎月3000円ぐらいだったら大変じゃないでしょ?」
月々数千円の支払いで済むというセールストークを私は何度聞かされたことだろう。前の羽毛布団のセールスマンも同じことを言っていた。ミシンの販売に来た若い女性も、エステの勧誘も、みな同じことを言う。これに対する私の答えも決まっている。「月々数千円でも利息が高くついて結局元金の倍ぐらい払わなきゃいけないでしょ?」すると相手の勢いは少し弱くなり、「まあ、何が一番大事かという価値観の問題ですよね」などと言う。
ガンガンにセールストークを繰り広げるより個人的に親しくなる方が効果的だと思ったのか、話題を変えて自分の話を始めた。首にかけたチェーンをワイシャツの襟から引っ張り出し、それに通してあるダイヤを見せて「これ100万で買ったんです」と言う。ダイヤはそれほど大きいものではなかったし、輝きもあまりなくて本物なのかどうかも疑わしい代物だった。「それ100万じゃ高すぎるよ。もっとずっと安く買えたんじゃない?」と私が言うと、当時付き合っていた彼女のために知り合いから買ったが、渡す前に彼女と別れ、返品には応じてもらえなかったのでこうして身につけているのだとうつむいて言った。
なるほど、自分はだまされやすい純粋な人間なので、人をだまして物を売ろうなどという魂胆は微塵もないのだと言いたいらしい。同情も引けるし、セールスには格好の設定だ。しかし「それは気の毒だったわね」という私の言葉が上辺だけのものであることを彼は即座に見抜いたのだろう、その話はすぐに打ち切られてまた浄水器の話に戻った。
夕方近くになり、どれだけ熱弁を振るっても、人のいい田舎者になってもGACKTになっても私の気が変わらないのがわかると、セールスマンもようやく諦めて帰り支度を始めた。カバンに書類やパンフレットを入れながら、彼は私のアパートに来る前に寄ったお宅が、実はヤクザの事務所で自分はそれと知らずに行ってしまったが、組長らしき人が自分の事をとても気に入ってくれて、浄水器を2つ購入してくれたという話をした。私は彼が1件も契約が取れていなかったら可哀そうだとほんの少しだけ思っていたので、「すごいじゃない、良かったね。じゃあ私は買わなくても大丈夫ね」と言うと、彼は押し黙ってしまった。もしかしたら購入者の存在を知らせることで「やっぱり私も買おうかな」と心変わりすることを期待していたのだろうか。最後の最後まで諦めない人だ。その粘り強さをもっと人の役に立つことに使ってくれるといいのだが。
彼は最初東北なまりでオドオドしゃべり、純真な青年を装っていた。この東北のなまりはいいアイテムだ。相手の警戒心を解き、なぜかほかのどの地方より素朴で善良な人柄をイメージさせる。テレビ通販のCMによく出ている男性も東北なまりがある。CDを「シーデー」と発音して最近特に田舎くささを強調しているようだが、あの年代で「シーデー」と発音するのは不自然だ。何事も度を過ぎると逆効果になってしまう。わざとらしい演出でも売っている商品が良い物であれば許せるのだが、一度その会社から毛布を買ったことがある。「あったかいと評判」ということだし、値段がとにかく安かったのでつい買ってしまったのだが、届いたのはペラペラの薄い毛布で、値段分の暖かさしかなく、ほとんど使うことはなかった。一番腹が立つのはこのCM、録画したドラマにいつも挿入されているのだが、スキップしてCMを飛ばしたいのに非常に細かく分割されていて何度もスキップボタンを押さないとスキップできないようになっていることだ。ほかのCMではこのようなことはほとんどない。あの通販CMだけなのだ。なにがなんでも見ろよという社長のすさまじい執念が伺える。素朴そうに聞こえるなまりの裏に隠された逞しい商魂…
あのCMを見て、昔我が家にやってきたセールスマン達を思い出したのだが、今では悪徳商法は訪問販売よりネットが主流なのだろう。対面する必要がない分、より大胆で悪質なものになっているかもしれない。自分だけ儲かれば人をだましても構わないという人間のエゴと貪欲さは、どれだけ時代が変わってもなくならない。残念なことだ。一人一人がだまされないよう慎重に判断し、だまそうとする人間が無駄に時間と労力を費やすのに疲れてしまって、まっとうに生きることを選ぶしかない時代になればいいのだが…