土地の呪いは死後も続く

不思議

霊能者であるM母が古家付の土地に「おじいさんがいる。困ったような顔をしてる」と言ったのがずっと気になっていた。不動産会社によるとその家はずっと別荘として使われていて、持ち主のおじいさんが亡くなっていたとしても、そこで亡くなったのではなく、住まいのある東京で亡くなっているはずだ。

霊は自由に好きな所に行けるのだから、お気に入りだった別荘に現れても別におかしくはない。困った様子も、庭が荒れ放題であるとか家がなかなか売れないといった原因のためとも考えられる。しかしおじいさんのすぐそばにはM母が逃げ出すほどの恐ろしいモノがいた。M母がこの土地とすぐ裏の土地のことを“オバケ屋敷”と表現したことから察するに、相当おどろおどろしいモノが複数いたようだ。いくら自分も幽霊と呼ばれる存在になったとしても、オバケが居座っている土地に好んで行くだろうか。たとえ幸せな思い出がつまった家だったとしても、そばにオバケがいたら(懐かしいな)という感慨にふけることもできないではないか。行く意味がない。

おそらくおじいさんも好きであそこにいたのではないと思う。よそに行きたくてもそこから動けなくなっていたのではないだろうか。いわゆる地縛霊というやつだ。離れた所で亡くなっても、呪われた土地の所有者は成仏することなく、土地に縛りつけられるのかもしれない。

そう考えると、山の家で私が年配の男性の霊(たぶん)の気配を感じたのも納得がいく。あれは私の前の住人Kさんだったのだ。Kさんもオバケ屋敷のおじいさんと同様、亡くなったのは別の場所だ。しかし亡くなったあと、あの土地に引き戻されてずっと1階の廊下のあの場所にいたのではないかと思えるのだ。リフォーム業者が床をはがしていた時、私の携帯にかかってきた電話の声は契約の時に一度お会いしたKさんの声と似ていた。末期の肺がんだったため、弱々しく、いかにも“おじいさん”といった感じの声だった。とっくにあの土地の所有者ではなくなっているのに、私という新しい所有者が十分呪いを受けているというのに、死んでもなお呪われるというのか。

この考えはスピリチュアルなことに関してド素人の当て推量で、間違っているかもしれない。いや、間違っていてほしいと思う。私はこの世でどんなにつらいことがあったとしても、死ねば終わりだと思ってきた。死んだ後まで苦しめられるなんて、そんな恐ろしいことは絶対に御免だ。

しかしM母も「山の神様が一番怖い」と言っていた。死んだ人間の霊なら、理屈が通用するのでよほど恨みをかったのでなければそれほど恐れる必要はない。しかし山の神様、土地の神様の人間に対する憎しみと怒りは歯止めがきかず、引っ越したり所有者が変わっただけでは呪いが解けない場合もありうる。さすがに死んだ後もそれが続くとは考えていなかったが… 

田舎に住む場合、こんな悲惨な目に遭わないために地鎮祭だけはやっておいた方がいい。それから土地は神聖なものと考え、乱雑な状態にしておくのは避けるべきだ。山に住んでいた時、両隣の空き地にはタイヤとか布団にくるまれた大量のガラス片、産業廃棄物、空きカン、空きビン、コンビニ弁当の容器等、実に多くのゴミが捨てられていた。空地はゴミ捨て場と勘違いしている人間のなんと多いことか。モラルの低い人間の無責任な行動が土地の神様の怒りを倍増させたのは間違いない。恐ろしいのはこの怒りはゴミを捨てた当人だけでなく、その近辺に住んでいる無関係の人間にも向けられることだ。家の中だけでなく外回りにも目を配り、決してゴミを放置したりせず、常にきれいにしているのが望ましい。

このようなことに気をつけていれば、呪いを受けたとしても死ねば解放されるだろう。死ぬまでの辛抱だ。…たぶん……

ちなみにおじいさんがいたこの家とすぐ裏の土地はずっと売れ残っていたが、先日不動産会社のサイトを見ていたら、両方ともなくなっていた。売れたらしい。これらの土地を買われた方たちの幸せを陰ながら祈る次第である。

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