理由を説明すると長くなってしまうので省略するが、Nさんが引っ越してすぐに私も山を下りて借家に移った。私に付き合って何度も引越を経験した福千代はさほどストレスを感じた様子もなく、その日のうちにもう新しい家になじんでいたが、１ヶ月もしないうちに頻繁に嘔吐するようになった。山の家にいた時も朝方胃液を吐くことがあったが、回数が比較にならないほど多くなった。日曜日の朝、4，5時間の間に７回も嘔吐したのでさすがにおかしいと思い、病院に連れて行くことにした。
新しい家のすぐ近くに動物病院があった。歩いても行けるぐらい近かったし、以前通っていた病院に対して私はこの頃不信感を抱くようになっていたので、病院を変えてみるのもいいかもしれないと思った。
前の病院はいつもすいていたのでほとんど待つことがなかったが、今度の病院は受付をしてから２時間以上待たなければならなかった。やっと順番が回って来て診察室に入り、症状を伝えるとすぐに血液検査をした。結果は甲状腺機能亢進症という病気で、甲状腺ホルモンが異常に分泌され、代謝がよくなりすぎて食べても食べても体重が減って痩せていくのが特徴だという。福千代の体重は4キロ弱になっていた。以前計った時より2キロ以上も減っていた。体重をこのまま維持できるのであれば特に何もしなくてもいいとのことだったので、その日は吐き気を抑える薬だけ頂いて様子を見ることにした。
思えば山の家にいた時から、食欲があって驚くほど食べているのに、福千代を入れたキャリーバッグを持ち上げると軽くなっているような気がした。前の病院でそれを伝えてもまともに取りあってもらえず、私が「どこか悪いんじゃないでしょうか」と言っても「そんなの検査しないと分かりません」と言って検査を勧めることさえしなかった。そして甲状腺機能亢進症には絶対に控えなくてはならないヨウ素が入ったうがい薬を福千代のぐらぐらしている歯に塗ったのだ。今にして思えば、高齢猫に多いこの病気を疑うのは難しいことではないはずだ。血液検査をすれば簡単にわかるのにそれもせず、与えてはいけない薬を与えた。駐車場で倒れていた武千代を運んだのがこの病院だったが、もしかしたら武千代が亡くなったのはこの医者の処置が間違っていたのではないかと邪推してしまうほど不信感が募った。とにかく病院を変えたのは正解だった。
甲状腺機能亢進症についてネットで調べてみた。どうしてそんな病気になったのか、原因を突き止めないと病気の進行を止めることはできない。
この病気のはっきりした原因はまだ解明されていないが、統計として、缶詰を食べている猫は食べていない猫の約２倍、猫トイレを使っている猫はそうでない猫の約５倍の発症率というのが引っかかった。
私は福千代が家に来た時からずっと缶詰を与えてきた。しかし缶詰の金属腐食防止に使われているビスフェノールAという物質は構造が甲状腺ホルモンと類似しており、内分泌かく乱作用があるという。
またトイレ砂を固める成分や消臭成分、芳香成分はほとんどが化学物質だ。人間にとって非常に便利でも、猫にとっては有害なのかもしれない。山にいた時、福千代はほとんど家のトイレを使わず、雨が降っていても外で用を足していた。しかし借家に来てからは家が密集していたので外に出せばよその家の庭でやってしまうと思い、あまり外には出さず家のトイレを使わせていた。引っ越してすぐに症状が悪化したのはこれが原因のような気がした。
トイレ砂は化学成分が入っていない、100％自然素材の物をネットで購入することにした。この砂はすのこタイプのトイレで使うものだったので、トイレも買い替えた。食事はヨウ素の含有量が少ない療養食を、やはりネットで購入し与えることにした。
しかし療養食はすぐに飽きて食べなくなってしまい、鶏肉やヨウ素が少ない魚を調理して与えたが、これも飽きてあまり食べなくなった。徐々に体重が減少し、手術か薬物療法か選ばなければならなかった。
薬はずっと飲み続けなければばらないので、副作用が心配で躊躇していた。しかし全身麻酔の手術は高齢のため危険が伴うし、甲状腺を取ってしまうと今度はホルモンの分泌が少なくなって、逆に分泌を促す薬を飲まなければならなくなる可能性もあると病院で説明を受けた。そうなると薬物療法しかなかった。
病院で出された薬を飲ませて様子を見ていたが、心配していた副作用は見られず、体重の減少は抑えられたので少し安心した。
福千代がこの病気になったのは、明らかに私の落ち度だ。私が選んだものが間違っていたのだ。トイレ砂の消臭成分が猫に良くないとしたら、部屋の消臭剤や消臭剤入りの柔軟剤も良くないに違いない。どうしてもっと気をつけてあげなかったのか、自分が本当に情けなかった。
福千代は人間の言葉や気持ちを理解している。私も福千代の気持ちを理解しているつもりだった。しかし猫トイレをいやがり、外で用を足す福千代を理解しようともせず、人間が人間の都合を考えて作ったトイレを強要してしまった。どれほど悔やんでも悔やみきれない。愛猫家の方々が私と同じ過ちを犯して悲しむことがないことを強く願う。
