ノミ取りの幸せ

悪性リンパ腫を患いながらも、甲状腺機能亢進症という持病を持ちながらも、福千代は穏やかに日々を過ごしていた。病状が安定していたので病院には月に1回行く程度で、特に変化がなければ薬をもらうだけだったのだが、診察台に乗った福千代を先生が見る時、私は少し緊張した。福千代の体にノミかノミの糞が見つかると先生から駆除剤を勧められるからだ。

福千代がまだ若かった頃、冬以外は定期的にフロントラインを投与していた。数年間は何の問題もなかったが、ある時期から薬をつけた首筋をしきりに掻くようになった。やはり皮膚にはあまり良くないのだなと思い、フロントラインを滴下した次の日にシャワーで念入りに首筋を洗うようにした。それで皮膚のかゆみはなくなったのだが、フロントラインを投与した数時間後に福千代が吐いたことがあった。猫が吐くのはそれほど珍しいことではない。たまたま薬を投与した時と重なっただけだろうと思ったが、同じことがもう一度あった。これはもう偶然ではないかもしれない。たとえフロントラインと嘔吐が無関係だったとしても、怖くて駆除剤を使うことができなくなった。

それから私は昔ながらの方法でノミを捕ることにした。目の細かいノミ取り用の櫛で毛をすき、引っかかったノミをガムテープにくっ付けていくのだが、すばしこいヤツはガムテープに行く前にピョーンと跳ねてどこかにいってしまう。また跳躍力の特に優れたヤツはガムテープにギュっと押しつけてもやはりピョーンと跳ねて行方不明となる。これらの逃亡犯は再び福千代の体に寄生するのだと思うが、時には私のお腹や足に寄って来て、気付かぬうちに私のコレステロールたっぷりの血を貪るのであった。

福千代は毎日外に出るので櫛ですくと1日10匹ぐらい捕れることがある。たくさん捕れるとなぜか嬉しいものだ。貧弱な体のオスが捕れてもそれなりに嬉しいのだが、体格の立派なメスが捕れると充実感がある。おそらく魚釣りをする人の心境もこのようなものだろう。ガムテープに貼りついたノミの数を数えてはニタニタし、「福ちゃん、今日は8匹だよ」と報告する。福千代は気持ち良さそうに目をつぶってじっとしているが、お腹だけは触らせてくれなかったので、うまくお腹の毛に隠れていたヤツは捕獲を免れることができた。そういうのが病院に行った時に先生に見つかると「ノミがいますね。薬使ってますか?」と尋ねられる。私は以前薬を投与した後で吐いたことがあるので薬は使っていないと答えると「それでもノミの害の方が大きいです」と断言されてしまった。

動物の専門家で患者の健康を大切に思っている医者にそう言われると私も従うほかなく、勧められるままに駆除剤の滴下をお願いした。私が以前使っていたフロントラインではなくレボリューションプラスという薬で、皮膚のかゆみも嘔吐もなかったのでほっとしたが、ノミ、ダニのみならずお腹の虫まで駆除できるというのだから相当強い薬であるに違いない。高齢の福千代にこれを与え続けるのはやはり怖く、薬の効果が切れる頃には原始的な方法に戻り、再びノミ取り櫛を使うようになった。

ノミは顔や首によくいるのでそのあたりを集中的にすいていると、床にポタリとしずくが落ちた。見ると福千代の少し開いた口からヨダレが垂れている。昔から顔、特に顎の下をなでると気持ち良さそうにしていたが、ヨダレを垂らすとは相当気持ちいいのだろう。福千代が気持ち良ければ私もすごく嬉しい。

こんな時、猫は得だとつくづく思う。もしこれが人間のおじいちゃんであれば、「やだ!おじいちゃん、ヨダレなんか垂らして!」と白い目で見られるに違いない。しかし同じヨダレでも高齢猫が垂らせばそれはほほえましい光景となり、あたかも生後まもない赤ちゃんが垂らしたかのごとく扱われる。決して“だらしない”とか“汚い”とか非難されることはなく、ひたすら“かわいい”のだ。

以降、ノミ取りをする時は必ずティッシュをそばに置いておくようになった。ガムテープにノミを貼りつけながら福千代の口元をそっと拭いてあげる… 私と福千代の間にゆったり流れる陽だまりの時間だった。

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