ガーデニング

アパートを出て一戸建てに移ると、私はガーデニングを始めた。植物は元々好きで、いつもプランターで季節の花を育てていたが、やはり庭があるのが理想だ。花だけでなく木も植えて、癒しの空間を作ろうと思った。

まず最初にハナミズキの苗をホームセンターで購入した。これを植えるためには50㎝ぐらいの深さまで穴を掘らなければならないのだが、この時はスコップがなく、小さいシャベルで掘るしかなかったので、かなり苦戦した。思ったより土は固く、大きい石がごろごろ出てきて、なかなかはかどらない。

必死でがんばってもやっと30㎝だ。あと20㎝掘らなきゃ…と思っていると、福千代が穴の中に入り込んでまったりしている。「邪魔だからどいて下さい」と言うと穴から出て、せっかく掘り上げた土を前足で穴の中にせっせと入れ始めた。「ちょっとー、やめてよー」と私が文句をたれると、突然ダッシュして、別の場所で自分も穴を掘ってみたりする。

私が穴を掘っていると、いつもこんな感じだ。雑草を抜いたり植木の手入れをする時などは特別な反応はないのだが、土を掘る時だけは妙にはしゃいでいる。

猫は穴を掘って排泄し、終われば土をかけて排泄物を埋める。飼い主が自分と同じようなことをするのが嬉しいのだろうか?(私は穴を掘るだけで、そこに排泄はしないが)

そういえば大島弓子先生の『グーグーだって猫である』という漫画で、大島先生がグーグーの独特な鳴き声を真似するとグーグーが劇的な反応をするとあった。やはり飼い主が自分と同じことをするのは、猫にとって非常に嬉しいことなのかもしれない。

猫は飼い主の真似をすることがある。千歳が生きていた時、私は毎朝ベッドの中で千歳の顔を指でなでていたが、そのうち千歳も私の顔を前足でなでるようになった。お互い見つめあって顔をなであうという、至福のひと時だった。

相手の行動を真似するのは、猫にとっては愛情の表れなのかもしれない。飼い主が自分と同じ行動をすれば、猫は飼い主との一体感をより強く感じ、興奮するほど嬉しくなるのでは…と勝手に思っている。

植物を育てるのは楽しいものだ。小さな苗を植えて日々観察し、その成長を喜ぶ。丹精込めて育てた花にミツバチが集まって蜜を吸っていたりすると、なんだか嬉しい。以前はきらいだったハチが、なぜか愛おしく思える。

しかし後年、ガーデニングの楽しみは鹿によって奪われることになる。

私は住みなれた埼玉県からとある事情により、福千代を連れて静岡県に移住したのだが、そこは山にある別荘地で、鹿やイノシシなどが生息していた。暖かい時期は被害が少なかったが、冬になると食料が少なくなるせいか、人家の庭に侵入して花や野菜を食い散らかし、住民の嘆きがあちこちで聞かれた。

我が家の庭は野菜や果樹はなかったので、イノシシは出なかったが、鹿は時々やって来て、大切な花を食い荒らしていった。

鹿にも食べ物の好みがあるようだ。プランターにサクラソウとパンジーを寄せ植えすると、サクラソウには手をつけず、パンジーだけを食べていった。そばに植えてあったスイセンも食べなかったが、無残にふんずけられて倒れていた。

やがて暖かい時期でも鹿は出没するようになり、被害は年々ひどくなった。花壇のまわりにフェンスを設けたが、斜面という地形のため、完全に囲うことができず、あまり効果がなかった。

バラをやられた時が一番ショックだった。バラにつぼみがつくと、毎日膨らんでいく様子をうっとり眺めて、美しく咲くのを楽しみにしていたのに、ある朝見ると、つぼみが全部パックリ食べられて無くなっているのだ。動物好きな私も鹿に対してだけは敵意を感じた。「今度見つけたら絶対デコパッチンしてやるー!」と闘志を燃やした。

まあ確かに鹿は昔からそこに住んでいて、人間は後から来たのだから、あまり文句は言えないのだが、でも、ひどすぎる。雑草はいくらでも生えているのに、バラとかクレマチスとか芙蓉とか、人が大事にしている花ばかり食べていくとは…

それにしても鹿の口の中はどうなっているのだろう? 鹿はバラだけでなく、トゲのあるものを好んで食べているようだった。山には鋭いトゲのついた植物が何種類も生えているが、それらがよく食いちぎられていた。痛くないのだろうかと不思議でしようがない。おとなしそうな顔をしているが、口の中は超合金でできているのかもしれない。

鹿にガーデニングの意欲を削がれることはあっても、やるべきことは山ほどあったので、仕事が休みの日は何時間も庭仕事をすることがあった。私が庭にいる時、福千代は必ずそばで私がやることを眺めていたが、夕方になると「ニャ~(もう家に入ろうよ~)」と鳴き続けた。猫専用の出入り口があるので私は「福ちゃんは先に入ってなさい。ママもう少しやらなきゃいけないの」と言うのだが、私が外にいるかぎり、決して一人で入ろうとしない。寒くなっても暗くなっても、私のそばから離れようとはしなかった。いつも、いつも、私に寄り添い、見守ってくれた福千代は、私にとって唯一の家族であり、喜びと幸せの源であった。

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