山の上の別荘地に住んでいた時のことである。
その日は低地でも雪が降っていた。私は退社後タイヤにチェーンを巻き、途中スーパーで買い物をして自宅に向かっていたのだが、別荘地の入り口付近まで上っていくと道は凍り、ツルツル滑るので、かなりスピードを落として運転していた。
慎重に、ゆっくりゆっくりアクセルを踏んでいると、ふくらはぎに猫が体をこすり付ける感触があった。私はギョッとして足元を見たが、無論猫などいるわけもない。しかしその感触はかなりはっきりしたもので、到底錯覚とは思えなかった。
猫は自分の匂いを付けるために、よく壁などに体をこすりつける。飼い主の足にも同じことをするが、結構強く押してくるので、当たり所が悪いとよろけることもある。それぐらいしっかりした感触だったのだ。
「千歳だ……」と思った。
この直後車は雪で動かなくなり、私は車を置いて家まで歩くことにした。雪がなければ40分ぐらいで行ける距離なのだが、深くつもった雪に足をとられ、思うように進まなかった。しかも、まさか歩く羽目になるとは夢にも思わなかったので、スーパーでたくさん買物をしてしまったのだ。
その時の荷物は、いつも仕事に持っていくバッグと空の弁当箱の入ったバッグ、スーパーの買物袋、翌朝食べるために買ったパンの袋、2ℓ入った水のボトル、そして傘であった。横殴りの雪に傘はあまり役に立たず、逆に風の抵抗を受けて前に進みづらかったので、途中からさすのをやめて杖替わりにした。
上りが急なところでは少し進んでは休憩した。途中何度も転び、そのうち疲労のためにすぐに起き上がることができなくなった。うつ伏せで倒れた状態で、体力が回復するのを待たなければならなかった。
(雪山で遭難するって、こういうことなんだ)昔見たドラマの遭難シーンが思い出される。起き上がるのが面倒くさくなり、このままずっと雪に埋もれて横になっていたい誘惑にかられた。「ダメだ、寝るなーっ‼」と主人公が同行者に叫んでいた気がする。眠たいわけではないが、もう動きたくない。こうして目を閉じていると本当に眠ってしまいそうだ。しかし… 愛しい愛しい我が子の姿が瞼に浮かんだ。家では福千代がお腹をすかせて待っている。帰りが遅いので、さぞかし心配しているだろう。力をふりしぼって起き上がり後ろを振り返ると、深くて柔らかい雪に私の足跡と体の跡がくっきり残されていた。足跡、体の跡、足跡、体の跡… 翌朝誰かがこれを見たら何と思うだろう。そう考えるとおかしくなった。
やっとのことで家の近くまで来ると、出窓から外の様子を見ていた福千代が猫ドアから飛び出してきた。深い雪をものともせず、一目散に私の所に走ってくる。愛する我が子の出迎えを受けて、やっと我が家に帰ってきたと実感する。
「おかえり、おかえり。なんで今日はこんなに遅かったの? 僕もうお腹ペコペコだよ」と言うので(たぶん)、私は「福ちゃん、ママね、今日すごく大変だったんだよ」と吹雪の中の決死行を説明しながら玄関に向かった。
雪がびっしり入り込んだ長靴を脱いで家の中に入り、遅い夕食をとった。もう9時をまわっていた。ストーブに当たりながら暖かいご飯を食べていると、さっきまで麻痺していた足の感覚も戻ってきた。
(あったかい…)そう感じるのは、暖房のためだけではなかった。横では満腹になって満足した福千代がストーブの前で毛づくろいをしている。
私の帰りをずっと待っていてくれた福千代。雪の中を出迎えてくれた福千代。福千代がそばにいるから暖かいのだ。そして今日は千歳が私を心配して来てくれた。
あの車の中の“スリスリ”は千歳からの「気をつけて」という警告だったように思う。死後十年以上経っても飼い主を心配してくれる千歳は、忠犬ハチ公に負けず劣らず忠義な猫である。決して猫を薄情などと言うなかれ。
体はへとへとに疲れたが、途中どこかでパンを落としてきたことに気づいたが、その夜は満ち足りた気分で眠りについた。