野生の飼い猫

猫というのはたとえ生まれた時から飼い猫であっても、野生の本能はなかなか抜けないものだ。ひらひら動くものにじゃれつかない猫はいないだろう。あれは紛れもなく狩猟本能のなごりだ。動物園のライオンも、ハタキを振ると猫と同じ仕草でこれにじゃれついているのをテレビで見たことがある。

福千代はよく鳥やねずみなどを捕まえてきた。殺すのではなく、まだピンピンしているものをくわえてきて、部屋の中でそっと放すのだ。可哀そうな獲物は必死で逃げようとするのだが、すぐさま福千代の前足で抑えられ、サッカーボールのように右へ左へ飛ばされる。そしてまた口にくわえられ、ブンブン振り回される。私は獲物を解放してあげようと追いかけたが、福千代は私がこの残酷な遊びに加わったものと勘違いしてはしゃいでいる。

家具の裏に逃げ込まれると厄介だった。福千代は前足を壁と家具の間に突っ込んでみるが、安全な場所に逃げ込んだ獲物はそう簡単には出てこない。何か細くて長い物はないかと辺りを見回すと、ハエたたきがあった。これを家具の後ろに入れて探ってみると、獲物は観念して飛び出してきた。福千代はすかさずこれを追う。私は福千代より早く捕まえなければならない。しかしこれ以上怪我をさせないためには、力を加減せねばならず、かと言ってもたもたしていると当然逃げられてしまう。

何度か失敗を繰り返した後、やっとのことで捕まえると、それを福千代に見えないように隠して「あれ? どこ行っちゃったんだろうねえ」と、キョロキョロしてみせる。私を完全に信頼しきっている福千代も辺りをキョロキョロ見回す。少し罪の意識を感じながら私はそっと外へ出て、家からなるべく離れた所で獲物を放す。元気よく逃げてくれればほっとするが、ぐったりして動かないと、このまま死んでしまうのではないかと心配になる。私が福千代の魔の手から救い出した時には、もうすでにこと切れているという事も珍しくない。そんな時は庭の片隅に穴を掘って埋めてやらなければならなかった。

私は猫に限らず、全ての動物が好きだ。鳥もトカゲも可愛いと思うし、蛇も嫌いではない。蛇は時々庭に出没した。最初は驚いたが慣れればどうという事もなく、1メートル以上の蛇が目の前を通過しても「あ、蛇だ…」ぐらいの反応で、何事もなく庭仕事を続行した。だから福千代が連れてきた獲物がこれらのものであれば、私は素手で捕まえて逃がしてあげることができた。だが私にも苦手なものがある。

山に住んでいた時、裏口のドアに猫専用の出入り口を付けたので、福千代はいつでも自由に外に出ることができた。冬は寒いのですぐに帰ってきたが、暖かくなるにつれて外で過ごす時間は長くなり、夏は夕食後に出て行って夜中に帰ってくることが多かった。

ある夏の夜、私が気持ちよく熟睡していると、猫ドアがバタンと閉まる音とジジジジーというやかましい音が聞こえて目を覚ました。福千代がベッドに飛び乗ったかと思うと、何か動くものが私の足に触った。ギョッとして灯りを点けると、ベッドの上でアブラゼミが仰向けでのたうち回っていた。

夜中だというのに私は思わず「ギャー‼」と叫んでしまった。私が長年苦手としてきたもの、それはゴキブリとセミとカマキリだった。ゴキブリに関しては、日々の暮らしの中でひんぱんに遭遇し、いやでも対処しなければならなかったのでかなり慣れたが、セミは家の中で見ることはないし、ゴキブリよりずっと大きいし、羽を動かす時大きな音がするので依然として恐怖の対象だった。(カマキリはサイズが中程度であれば、それほど怖くなくなった)

福千代はセミを前足でつついて、もっと派手に動くよう促している。ベッドに連れてきたということは、一緒に遊ぼうという意味だと思うが、セミだけは勘弁してほしい。しかしセミがいるベッドで寝ることなどできるわけもなく、私はほうきと塵取りを出してきて身構えた。幸いセミは仰向けで、円を描くようにのたうち回って飛ぶ気配がない。私は意を決してほうきをセミの上に覆いかぶせ、その下に塵取りを差し込んで無事捕獲。ほうきの下から聞こえてくるジジジジーという羽音の恐怖と闘いながら裏口まで行き、逃がしてやった。

野生の猫の狩りは純粋に生きるための食料調達が目的であるが、飼い猫の狩りは大概遊びが目的だ。どちらにしても猫が狩りをするのは本能によるものなので、やめさせることは難しい。

飼い猫の遊びは飼い主と一緒に行うことが多い。そのため獲物はなるべく傷つけず、生きのいい状態で持ってくる。そして「いいもの捕まえてきたから一緒にあそぼ」といって飼い主の前で獲物を放すのである。飼い主は猫がおもちゃを追いかける様を見ると楽しいし、興奮した猫がおもちゃをボロボロにすれば、それほど気に入って遊んでくれて嬉しいと思う。しかし生きた動物をいたぶるのは正視できない。何とかやめさせたいが、それを悪い事と思っていない猫の純粋な気持ちを完全に否定するのも可哀そうで、非常に悩ましいことだ。

まれにではあったが、福千代は死んだ獲物を静かに置いてくることもあった。おそらくこれにはプレゼントの意味があるのではないかと思う。

私の家の斜向かいに住んでいたNさんは私より5歳年上で、ご主人はずっと海外で単身赴任、お子さんもいらっしゃらなかったので私と同様一人暮らしだった。ガーデニングが趣味という共通点もあり、福千代ともども仲良くしてもらった。

ある日Nさんの家で手料理をご馳走になり、おいとまして外に出ると、駐車場にネズミの死体があった。玄関から階段を降り切った、非常に目立つ場所だ。来た時にはそんなものはなかった。犯人は福千代以外考えられない。

しかし決して悪意からではない。おそらく日頃お世話になっているNさんへのプレゼントのつもりだったと思う。とはいえ、このプレゼントをNさんが喜ぶとは思えなかったので、私は哀れなネズミの遺体を持ち帰り、福千代に見つからないよう庭に埋めた。

福千代が持ってきた動物の遺体を、何度庭に埋めたことだろう。しかし一度だけ、それをやらずに済んだことがある。

休みの日の午後、バターンと猫ドアが閉まる音と、福千代がドドドドっと階段を駆け上る音が聞こえた。勢いよくリビングに入ってきた福千代を見ると、またネズミをくわえている。その時のネズミはもう死んでいたのか、生きていても瀕死の状態だったのか、全く動かずぐったりしていた。

ネズミを床に置くと、福千代は前足でチョンチョンとつついたがピクリとも動かない。口にくわえて振り回すがやはり動かない。放して、またくわえて噛んでいるうちにネズミの体は半分福千代の口の中に入っていった。まさかと思ったが、やがて全てが福千代の口の中へと消えていった。

ショックだった。動物を殺すことはあっても、食べることなど、それまで一度もなかった。奪った命をありがたく最後まで頂くのが一番正しいことだと理屈では分かる。遊ぶだけ遊んで、死んだら遺体を放置するよりは、命を尊んでいると言える。理屈では分かるのだが、しかし…… うちの子が…私の可愛い福ちゃんがあんな事を……

いつもと違う目で福千代を見てしまった。思春期の息子を持つ母親の心境? いや、あまり関係ないか…  

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