日本では様々なものを神として祀り、実に多くの神社が各地に建立された。神話に登場する神様を祀るのにあまり違和感はないが、安倍晴明や菅原道真など人間を祀った神社の存在はおそらく外国の人には理解しがたいだろう。また道を歩いていると時々小さな祠に出くわすことがある。あれはいったい何を祀っているのだろうと昔は不思議に思っていた。アスファルト敷のコンビニの駐車場の隅にぽつんと残された祠などを見ると、何でもやたらと祀り上げるから後で処理に困るのだと冷笑したものだ。
そんな私が今では、あれは元々土地の神様のたたりを鎮めるために建てられたものかもしれず、決して軽々しく扱ってはいけないのだと考えている。なぜそう思うのかというと、私も山に住んでいた時、祠を建てようと真剣に考えたからである。
2008年春、私は山の上の別荘地にある中古住宅を購入した。家はまだ築10年なので部分的にリフォームすれば十分きれいだし、何より家がまばらなので誰にも気兼ねせず、豊かな自然に囲まれてのびのび暮らせるのが魅力だった。外に出るのが好きな福千代も山暮らしはきっと気に入るだろう。引越の日が待ち遠しかった。
しかし引っ越す前から、正確には売買契約の直後から私の体に異変が起こり、解決困難な問題が次々と生じた。
最初に異常が起きたのは歯だった。私は毎食後必ず歯を磨くので、それまでずっと歯は健康だった。しかし家の契約直後から下の奥歯が痛みだし、近所の歯科に1年近く通って治療を受けたが、結局抜くことになった。普段は医者も驚くほど傷の治りが早いのだが、抜歯後1ヶ月たっても痛みが消えず、これはおかしいと思って病院に行くと医師は「ちゃんと掻爬したので処置に問題はない」と断言した。私はあっけにとられた。掻爬などまったくやっていないのだ。抜歯のあとはガーゼのようなものを噛まされただけだった。レントゲンでは膿が歯槽骨に漏れているのが映っていたのに洗浄しなくていいのかと不安に感じたのでよく覚えている。
思い返せば抜歯した日、待合室には立っている人もいるぐらい混んでいて、私も予約していたのに1時間半待たされた。やっと診察室に呼ばれると新しい助手がいて、歯科医は彼女の手際の悪さにいらだっていた。麻酔を打って少したつと感覚があるかどうか聞かれて、私は「ある」と2回答えた。しかしもう待っていられないようで麻酔を3本追加し、問答無用で抜歯を始めた。しかし歯はすんなり抜けなかった。悪戦苦闘してやっと抜けた時には、歯科医はもう次の患者のことしか考えていなかったのだろう。掻爬するつもりが忘れてしまったのか、それとも時間がないので省略したのかはわからない。
この病院にはもう二度と行くつもりはなかった。やっと痛みが引いた後、他県の病院でインプラントを入れたのだが、この病院のやることも通常では考えられないことだった。インプラントの歯を入れた日、家に帰って食後フロスで歯間を掃除しようとしたのだがフロスが入らない。病院に電話して聞いたところ、インプラントが取れないように両隣の歯と樹脂でくっ付けたというのだ。それではちゃんと掃除ができない、なんとかしてほしいと訴えても拒否された。歯石を取ってもらうために行った近所の病院でも、その歯の特殊な形のせいで歯ブラシが汚れた部分に届かないのでいずれ問題が起こると言われた。仕方がないので10万円かけてその病院で新しい歯に付け替えてもらった。
しかし間もなくインプラントのあたりからしょっぱい味がするようになり、インプラント周囲の細菌感染が疑われてしばらく通院したが改善されず、取り換えてわずか１ヶ月の歯共々インプラントを除去しなければならなくなった。
除去手術は県内の大学病院で行われた。驚いたことに設備は個人病院以下で、子供の頃行った昭和の歯医者さんのようだった。機械で削れる所はごく浅い所だけだったのでノミとトンカチのようなものでガンガン叩いたがびくともせず、教授先生は「ダメだ、取れない」と言って途中でやめてしまった。
2ヶ月後県外の別の大学病院で再度手術を受け、インプラントはやっと除去できた。しかししょっぱい味は消えず、手術した所の痛みはずっと続いた。この後4年間、東京の歯科大をはじめ数多くの歯科医院を受診したが、どこに行っても「異常は見られない」「精神的なもの」と言われた。ほとんど諦めかけていた頃、知り合いが通っている市内の病院が良いと聞いたので行ってみることにした。
どこの病院のレントゲンにもCTにも映らなかった影がここで初めて映った。抜歯した時に何の処置もされなかったために膿疱が顎骨に残っていたのだ。膿疱の摘出手術を受けてようやく左下の不快感は消えた。しかし喜びも束の間、ほどなくして今度は左上からしょっぱい味と上顎がひりひりする感じがあり、これは今に至るまで原因不明で治っていない。
ここに書いたのは私が山に住むようになってから歯に起きたトラブルの一部にすぎない。歯科医たちが結託して私を苦しめているとしか思えないほど問題は続いた。
歯が健康だった頃、山に来る数年前から私は歯がごっそり抜ける夢を時々見ていた。目が覚めた時は実にいやな気分だった。しかし現実に歯に問題が起きると不思議なことにその夢はぱったりと見なくなった。
このほかにも私の体には大きな精神的苦痛を伴う不快な症状が現れ、これも原因不明で今に至る。歯と同時期に起きた問題では、私はなるべく関わらないようにしていたのだが、変にこじれて自殺者が出てしまった。
初めて手にしたマイホーム、この家のせいで悪いことが起こるなどと考えたくはない。しかし家の以前の所有者の話を近所の人から聞くと、不安はますます募った。
