猫の嫉妬

私は若い頃、猫屋敷とまではいかなくとも、4,5匹の猫と一緒に暮らしてみたいと思っていた。猫同士がじゃれ合う姿を見るのは楽しいし、そこここに猫がいるのはどんなに幸せなことだろうと憧れていた。しかし福千代は他の猫の存在を決して許さないだろう。

数年前よく利用していたドラッグストアで1000円以上買うとキャンペーンの応募シールを1枚くれた。それを何枚か集めるとピーターラビットのキャラクター商品が安く購入できるというものだった。自分は集めてないからとシールをくれた友人の助けもあり、私はピーターラビットのぬいぐるみをゲットした。

私には無意識のうちにぬいぐるみにほほえみかけるという間抜けな癖がある。昔家庭教師をしていた時の話だ。私は受験対策で中三の女の子の家に行くことになった。その子にとっては家庭教師など初めてのことで、最初は緊張気味で口数も少なかった。確か2回目の授業の時だ。「じゃ、この問題やってみて」と言って数学の問題をやらせた。普段は問題を解く過程をじっと見ているのだが、余計な緊張をさせないために私は彼女から目をそらし、近くにあった小さいぬいぐるみを手に取り弄んでいた。すると突然「プハーッ!」と彼女が大爆笑した。ぬいぐるみにほほえみかける家庭教師のアホ面を見てしまったらしい。これを機にその子の緊張は解け、私に親しみを感じてくれるようになったので、まあ良かったと言えば良かったのだが… ちょっと恥ずかしかった。

ピーターラビットのぬいぐるみは福千代の体より少し大きく、普段ソファの隅に座らしていた。ケースに入っているわけではないので時々ほこりを払わねばならず、その際私はハタキでパタパタはたくなどという手荒な真似は決してせず、ピーターを抱きかかえ、あたかも生きたウサギを扱うように優しくそっと払うようにしていた。終わればその愛らしい顔をじっと見つめて、たぶんほほえみかけていたと思う。ある時ふと視線を感じて横を向くと、福千代が全身をこわばらせてこちらを見ていた。あの時の福千代の表情が忘れられない。耳が後ろに向き、瞳孔が真ん丸になり、恐怖におののいているような感じで少し震えていたのだ。無意識のうちにやってしまったとはいえ、これほど福千代がショックを受けるとは思わず、私は慌ててぬいぐるみを置いて「ごめんね、もうしない。福ちゃんが一番好きだよ」と言って福千代を抱きしめた。

ぬいぐるみに対してこの嫉妬なのだ。相手が生きた猫であれば、福千代はどれほど傷つき悲しむだろう。いじめて追い出すか、もしくは自分が家出するか… 

福千代がこの世のすべての猫を敵対視し喧嘩をしたのは、もしかしたら私の愛情を奪われると警戒したためかもしれない。動物好きの人間が出すオーラを、動物は見ることができるという。私はたとえ器量が悪い子でも、人を警戒して寄り付かない子でも、すべての猫に強い愛情を感じてしまう。道端で見知らぬ猫の死体を見ても号泣し、何日も暗い気持ちになってしまうほどだ。福千代は私が他の猫を見て愛情オーラを出すのが嫌だったと思う。他の猫を一匹たりとも私に近づけないと心に決めていたのかもしれない。

多頭飼いに憧れた時期もあったが、一匹とこれほど強い愛情の絆で結ばれると、この”母一人子一人”の状態が一番良いように思える。私の愛はすべて福千代のもの、福千代の愛はすべて私のもの。

先住猫が紆余曲折を経て新入り猫の存在を認めるという話はよく聞く。ハッピーエンドではあるが、そこに至るまでは怒りや悲しみといった心の葛藤が少なからずあったはずだ。私は福千代にそんなつらい思いはさせたくはない。福千代にはほんの少しのつらいことも経験させたくない。常に100%幸せでいてほしいのだ。

それにしても感心するのは、福千代がピーターラビットのぬいぐるみを決して攻撃しなかったことだ。あれほどショックを受けたのだから、ピーターは憎んで余りある敵のはず。噛んでボロボロにしたって不思議はないのに、猫パンチ一つしない。たぶん私が大切にしていると分かっているからなのだと思う。福千代は本当に母思いの優しい子だ。世界中で一番賢い子だ。と、親バカが止まらない。

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