私はM荘にいた時、猫の神秘性を強く感じた。
千歳が亡くなった直後、私はつらくて他の猫を見たくなかった。しかし常連の猫たちは餌をもらいにいつも通りに来るだろう。あげる前から廊下で待機していることも多いので、見ないわけにはいかないだろうと覚悟していた。
ところが千歳が逝った日から、猫たちはぱったりと姿を見せなくなった。
普段ならドアを開けると大抵1匹か2匹がもう来ているか、いなかったとしても私の姿を近くから見ているらしく、あっという間に3匹ぐらい集まるというのに、なぜか1匹も来ないのだ。
それでも餌入れにキャットフードを入れ、水も取り換えて部屋に戻ると、餌入れはすぐに空っぽになっていた。私に見られないようにこっそり来て、食べ終わると長居せずに足早に帰っていったのだろう。私を避けているのは明らかだった。
2週間ぐらいたった頃、今まで一度も来たことのない姉妹と思われる猫が2匹現れた。それを機に常連だった猫たちがぼちぼち姿を見せ始め、最後にリーダー的存在だったクロが再び現れたのは1ヶ月以上もあとのことだった。
猫を見たくないという私の気持ちを察してくれたのか、それとも亡くなった千歳に遠慮したのか… 猫たちの真意は分からないが、千歳の死をちゃんと理解していることだけは確かだった。
福千代は我が家に来た当初、友達が欲しかったようだ。白黒ブチの2匹の姉妹猫によくちょっかいを出していたが、うるさがられて相手にされなかった。三毛はしつこくされるのが嫌いで「シャー!」と威嚇された。リーダー猫クロに対しては、近づきがたいオーラが出ているのか、一定の距離を保っておとなしくしていた。唯一福千代の誘いに乗ってくれたのは、若いキジトラのオス猫だけだった。
ある朝福千代はアパートの廊下にいるキジトラに近づいたかと思うと、突然向きを変えて逃げるように家の中に駆け込んだ。するとキジトラが追いかけて入ってくる。福千代がベッドに飛び乗り、前足をベッドの下にチラチラのぞかせると、キジトラがベッドの下に潜り込んで福千代の前足を捕えようとする。そのうちにキジトラもベッドに上がり、プロレスが始まった。
布団のわずかな厚みを壁にでも見立てているのか、二匹とも身を低くしてジグザグに移動し、じりじりと互いの距離を縮め、相手に飛びかかる。取っ組み合いをしたのち、すぐに離れてまた身を隠す。ジグザグ移動をする。
これを何度か繰り返したのち、福千代はベッドの下に降りて床にあったネズミのおもちゃを転がし始めた。右の前足で転がしたネズミを左の前足ではじいて遠くに跳ばす。転がる時にシャカシャカ音がするので面白いらしい。これを見ていたキジトラもすぐに加わり夢中で遊び始めたが、よほど気に入ったのか、おもちゃをくわえて猛ダッシュで外に出てしまった。追いかけたが、キジトラはあっという間に階段を下りて姿が見えなくなった。
福千代は呆然としたように玄関に突っ立っていた。おもちゃはもう戻ってこないと思ったので「あれはあの子にあげよう。ネズミさんはまた買ってくるからね」と言って慰めた。
ところが20分ぐらいして玄関のドアを開けると、ねずみのおもちゃがそこに置いてあった。わざわざ戻しに来たのだ。何という律義さ。借りたものは返さなければならないということをキジトラは知っているのだ。同じことはもう一度あった。
猫の倫理観はもしかしたら人間より優れているのかもしれない。