不幸に敏感 幸福に鈍感

人間

もう二十年以上も昔の話だが自転車に乗っていた時、左の路地から飛び出してきた自転車とぶつかって転倒した。その際左ひじを地面に強く打ち付け、その後遺症はつい最近まで続いていた。痛みは2、3ヶ月で消えたが、その後もずっと肩に違和感があり、手を下している時によくしびれを感じた。痛みはなくなったので病院には行かなかったが、できれば治したかったので、自己流で肩を回したり伸ばしたりマッサージなどしてみたが一向に良くならない。ずっとこのまま治らないのだろうと諦めていた。

ところが先日、(あれ? そういえば…)と、しばらくしびれを感じていないことに気づいた。以前は車を運転している時しょっちゅうしびれていたのだが、今はまったくそれがない。今の家に引っ越してきた頃はまだしびれていた。ということは、治ったのはここ1年半以内のことだ。念力爺様の動画のお蔭か。いや、ハクイ先生の動画を見るようになってからかもしれない。どちらに治していただいたのかわからない。

体に異変を感じればすぐにわかるのに、良くなった時はそれに気づかない。なんとも情けないことだ。私という人間はこんな風に、不満はよく感じるが、恵まれていることは気づかないでいることが多いのかもしれない。健康は失ってみて初めてその大切さに気づくと大病をした人は言う。また自分が親になった時、初めて親のありがたみがわかると言う人も多い。

人間は不幸に敏感で幸福には鈍感な生き物だ。私などはその最たるものかもしれない。しかし自分の置かれている状況を客観的に眺めてみると、一日二食食べられること(私は体が三食を必要としないので二食にしている)、雨露をしのげる家があるということ、独裁者に不自由な生活を強いられていないこと、テロリストに殺される心配がないこと、祖国を出て難民になる必要がないこと… 当たり前のことのようだが、そうじゃない人からみれば実に恵まれた環境だ。

それに幸せな時間も、思い起こしてみれば毎日のようにあることに気づく。庭で花を手入れしている時の安らぎ、バードバスで鳥が水浴びしているのを見た時の喜び、手作りの菓子を食べながら好きなドラマを見る楽しみ。些細な事だが、これを幸せと呼ばずして何と言おう。ああ、それから湿った海苔のついた生温かい明太子おにぎりを食べる時、正月だからいいよねと自分を甘やかして餅が7個入った雑煮を食べる時、体に良くないから控えているものの韓国ドラマを見て無性に食べたくなって作るグダグダに煮込んだインスタントラーメンを食べる時… 幸せを感じる瞬間は無数にある。

欲を言えば、隣に福千代がいてくれれば私の幸せはパーフェクトになるのだが…

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