私は子供の頃、犬が好きだった。猫も好きだったが、猫は初対面の人間には冷めた対応をすることが多いので、初対面でもフレンドリーな犬の方が好ましかった。マンションに住んでいたので飼うことは出来なかったが、親戚にもらったコリーのぬいぐるみを可愛がり、いつも一緒に寝ていた。犬を見れば必ず近づいていって話しかけ、なでまわしていた。たまに人見知りする犬もいたが、大抵はしっぽをブンブン振って、私の顔を舐めたり、中には構ってくれる嬉しさで、おしっこをもらす子もいた。犬のストレートな愛情表現が嬉しく、いつか犬を飼いたいとずっと思っていた。
しかしひとたび猫を飼い、猫の魅力に取りつかれてしまった今、猫以外の動物と暮らす気にはなれない。
猫のどこがそれほどいいのか、犬派の方には納得がいかないであろう。おそらく完全に客観性を欠いた、独断と偏見に満ちているであろう私の考えは以下の通りである。
まず何といっても、顔が可愛い。犬のように鼻が長くないので、顔が丸くて愛らしさがある。斜め後ろから見ると頬の丸みが幼さを感じさせ、しかも毛がフワフワしているので、思わず後ろから抱きしめ、チューしたくなる。
目は丸く大きく、鼻と口は小さく、そのバランスは絶妙だ。まさに人間に愛されるために神によって造られた顔だ。愛らしいピンク色の口を見ていると思わず触れたくなり、そっと指を近づけると、両方の前足で私の指をはさみ、ペロペロなめてくれる。こういう仕草も可愛い。あまりの可愛さに悶絶しそうになる。
猫をきらいと言う人は、たいてい「目がこわい」と言う。明るい所にいる猫の目は瞳孔が細長くなって、確かに見慣れていないとこわく感じるかもしれない。しかし夜になると瞳孔は真ん丸になり、可愛さは100%になる。猫好きにとっては、細長い瞳孔よりこちらの目の方が危険だ。なぜならこの目で見つめられ、可愛い声で鳴かれると、どんな要求でも叶えてあげたくなってしまうからだ。人間の理性を狂わせる魔性の目だ。
猫はどの角度から見ても、どんなポーズでも可愛いが、私が一番好きなのは、やはりお腹を出して寝ている姿だ。あのフワフワのお腹に顔をうずめたいと思った人は私だけではないだろう。どんなにつらいことがあっても、どんなに疲れていても、あのお腹に顔をうずめれば、たちまち疲れも吹っ飛び、元気になれる気がする。
しかし私は、いまだかつてその欲望を満たしたことはない。そのようなことをすれば、頭をキックされ、噛みつかれ、大切な我が子の信頼を永久に失ってしまうかもしれない。取り返しのつかない事態を避けるためには、己の密かな欲望を封印しておくほかはない。
お腹は猫以外の動物にとっても急所なので、やたらなことはできないが、顔だったら寝ている時でも触ることが許される。寝顔があまりにも可愛いので頬をそっと撫でると、「ウウ~ん」という、何とも言えない甘えた声を出して、薄目でこちらをじっと見る。私は胸が高鳴り、思わず天を仰いで「どうしてうちの子はこんなに可愛いのだろう」と呟いてしまう。
無防備に仰向けに寝転がり、両方の前足をお岩さんのように折り曲げて首をかしげてこちらを見る特有のポーズは、猫が自分の魅力を十分に理解していて「これでどうだ、これであんたもイチコロだろ?」と挑発しているような気がする。
そう、イチコロなのだ。猫の圧倒的な魅力の前に人間は無力である。そしていつしか猫が主人で、人間はそのしもべとなっていることに気づくのだ。しかしそれは決して不快ではない。猫の機嫌を取り、猫が命じるままに行動することに、快感すら覚えるのである。