二人のゾフィー

人間

洋の東西を問わず古来より夫からの虐待に苦しめられた妻は大勢いる。暴力などの肉体的な攻撃だけでなく、人前で公然と侮辱する、愛人を妻より重視していることをはばからずに言動で示すなど、精神的苦痛を与える夫を入れるとその数はいかほどのものだろう。 

夫に苦しめられた女性で有名なのがゾフィー・ドロテア(1666-1726)である。彼女はドイツのハノーファー選帝侯子ゲオルク・ルートヴィッヒに嫁いだが、最初から夫は冷淡で、美貌の妻には関心を示さず、あまり器量の良くない愛人たちを大切にしていた。おまけに姑は昔ゾフィーの父親に婚約を解消された恨みから嫁をいびり通すのだが夫は知らん顔で、孤立無援の寂しい日々を送っていた。そんな時ハノーファーにやって来たケーニヒスマルク伯爵という若い美男が彼女に接近し、やがて二人は親密な関係になっていった。そして駆け落ちを計画したのだが、夫に発覚してしまう。彼女は夫との離婚を要求し、離婚が成立するまでの間だけということで幽閉を受け入れるが、この約束は守られることはなかった。ゾフィーは1726年に死去するまでの32年間ずっとアールデン城に幽閉され、子供達に会うことも許されなかった。

不実な夫はやがてイギリス国王ジョージ1世となり、ゾフィーの生んだ二人の子供達とともにイギリスに渡るが、幽閉されていたゾフィーがこれを知ったのは何年もあとのことだった。母親をずっと恋しがっていた息子は母を苦しめた父を生涯憎み続け、父子の関係は最悪だったという。

ゾフィー・ドロテアと子供たち

ゾフィー・ドロテアの死から3年後に同じドイツの小国で、ゾフィーという同じ名前を持った公女が誕生した。この二人には名前以外にもいくつかの共通点がある。彼女はロシアの皇太子ピョートルに嫁いだが、彼はゲオルク・ルートヴィッヒと同様、器量の良くない粗野な女性が好みで、美しい妻には関心を示さず、夫婦仲は年々悪くなっていった。また彼女もゾフィー・ドロテアと同様、姑には苦労させられる。夫の叔母にあたる女帝エリザヴェータは自分よりほかの女性が美しいことが許せないという超ワガママで癇癪持ちの、恐ろしく気まぐれな女性だったので、ゾフィーも度々八つ当たりされ、理不尽な目にあうこともしばしばだった。エリザヴェータが亡くなりピョートルが皇帝に即位すると、彼は公の場で度々妻を侮辱し、彼女を追い出して不器量な愛妾を新しい皇后に迎える意向をはっきりと周りに示すようになっていた。

しかしこちらのゾフィーは何もせず、ただ運命にじっと耐えているだけのおとなしい女性ではなかった。彼女は長い年月をかけて周りの人間や国民の信頼を勝ち取り、味方を増やし、そしていよいよ自分の身が危うくなった時、クーデターを起こして夫から帝位を奪い取り、女帝の座についた。エカテリーナ2世の誕生である。

廃位されたピョートル3世はまもなくエカテリーナの忠臣によって暗殺されることになる。幽閉されてから殺されるまでの間、ピョートルは何を思っただろうか。私はたぶん、妻をもっと大事にしていればよかったと後悔したのではないかと思っている。クーデター発覚後、ピョートルが側近の勧めに従ってすばやく行動していれば、クーデターはもしかしたら失敗に終わっていたかもしれない。しかしこの腑抜けの皇帝は兵隊人形を使った戦争ごっこには夢中になったものの、実戦に赴く勇気は皆目なかった。何もせずにオロオロしているうちに状況はどんどん不利になり、側近に説得されて仕方なく支援要請にむかった皇帝は、すでにエカテリーナに寝返った将校の「ただちに立ち去らねば砲撃するぞ」という脅しに震え上がり、歯をガチガチ鳴らして泣いていたという。軍にテキパキと素早く指示を与えて皇帝の反撃に備えた妻とは大違いである。エカテリーナは最初からピョートルの敵う相手ではなかった。敵に回してはいけない人間だったのだ。

しかしエカテリーナは野心的な女性ではあったが、権力に取り付かれた残忍な暴君ではない。夫がいくら無能でも、自分に優しくしてくれればクーデターを起こすことはなかっただろう。そうであれば、夫を支えロシアを陰で支配した賢い皇后として歴史マニアには知られても、世界史の教科書に載るほど有名にはならなかったに違いない。逆に言えば夫に虐げられ、つらい思いをしたからこそ、偉大なる女帝エカテリーナ2世が存在したのだ。不幸を不幸のままで終わらせない、ピンチをチャンスに変える、それができたからこそ得られた名声だったと思う。

後世の人間から見ると、エカテリーナ2世は政治的な功績は非常に大きいが、プライベートでは愛人をとっかえひっかえして愛欲に溺れたエネルギッシュなオバサン、ゾフィー・ドロテアは王妃として敬われることもなく、子供たちと会うことも許されず、死ぬまで幽閉された薄幸の美女というイメージがある。後者の方がずっとロマンチックで魅力的だ。小説や映画の題材にもなりそうである。しかし自分がどちらになりたいかと言えば、当然前者だ。別に愛人をとっかえひっかえに憧れているわけではない。不幸な女にはなりたくないのだ。誰だって不幸より成功を望む。しかし大きな成功は不幸と表裏一体なのかもしれない。運命の分かれ目は、目の前に置かれた状況にどう立ち向かうか、あるいは立ち向かわないかだ。

今、コロナという未曽有の危機にさらされた世界で、どうしたらいいのか途方に暮れている人が大勢いる。収入が激減して日々の糧を得るのも難しくなっている人、仕事がなくなった人、住む所がなくなってしまった人、愛する家族を亡くした人… 絶望している人にどんな言葉をかけても嘘くさく思えるかもしれないが、どうか諦めずにピンチをチャンスに変え、乗り切ってほしいと心から願う。

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