随分前の話だが埼玉県に住んでいた時、置引きにあったことがある。スーパーで買い物をするため自転車を店の駐輪場に停めたのだが、バッグが重かったので自転車の前かごにバッグを入れたまま、財布だけ持って店内に入った。駐輪場はスーパーの全面ガラス張りになっている所の真ん前にあり、店内から丸見えだったので、盗難にあうとはまったく考えていなかったのだ。
しかし買い物を終えて戻ると前かごのバッグは消えていた。私は驚いたが財布は出しておいたし、重いだけで大したものは入っていなかったので、それほど深刻には考えなかった。しかし免許証が入っていたことに気づき、これはまずいと駅前の交番に駆け込んだ。
お巡りさんは置引きのあった場所、時間、盗られた物、それを金額に換算するといくらぐらいになるかなど詳細に聞き、調書に書き込んでいった。そして最後に「自転車の車体番号わかりますか?」という質問をした。私にはそんなものはわからなかったし、何より自転車を盗まれたわけではないのに車体番号など聞く必要がどこにあるのかと疑問に思った。しかしお巡りさんは諦めなかった。交番前に停めてあった私の自転車を念入りに調べ、懐中電灯まで持ってきて自転車に刻印してある番号を見つけてそれを調書に書き込んだ。私はこの時、犯人逮捕に全く役に立たないものを調べようとする警察に多少疑問を感じながらも、これだけ丁寧な仕事をするのだからきっと犯人を見つけてくれるだろうと期待もしていた。
免許証を再交付してもらい、置引きのことなど忘れかけていたころ、私の免許証を拾ったという男性から電話があった。私が住んでいたアパートのすぐ近くまで来ているので、これから届けに行くというのだ。私はいきなり来られても困るので、アパートの近くの公園を指定し、そこで会うことにした。しかしいくら待っても男性は現れなかった。1,2時間後再び電話があり、今度はちゃんと時間を決めて行ったがやはり現れない。
数日後その男性からまた電話があり、今度は夜7時に「冒険の森」という、辺り一面畑で夜は人っ子一人通らない辺鄙な場所にある公園で待つというのだ。もうこの男が置引きの犯人であることは疑いようがなかった。私は駅前の交番に行き、この男とのやり取りを逐一話した。
警察は電話の主が犯人に間違いないと言った。だから私は警察が「冒険の森」まで一緒に来て犯人を逮捕してくれるものと思い込んでいた。しかし警察官の発した言葉は予想とまったく違っていた。
「行かない方がいいよ。それこそ“冒険の森”になっちゃうよ」
「パトカーが確保できればいいんだけどねー。自転車で行ったら刺されちゃうかもしれないからね。危ないことはできないよ」
「絶対そいつが犯人だから会わない方がいいよ」
これは一人の警察官の独断ではなく、その場にいた3人の警察官の一致した意見だった。警察にはどうやら犯人を捕まえる気は全くなさそうだ。暗い中、被害者に同行して犯人を捕まえるより交番でぬくぬくしている方がいいのだろう。
警察ではまったく頼りにならないので友人に相談すると、友人がご主人と一緒に車で迎えに来てくれることになった。さらにもう一人の知人男性も呼んでくれて現地で合流した。しかし時間になっても犯人は現れなかった。近くに身を潜めていたのかもしれない。私が1人ではなく男性2人と一緒で、しかも1人はゴルフクラブをブンブン振り回しているのを見ておじけづいたに違いない。
近所に住む年配の女性にこのことを話すと、「あそこのお巡りさんはそうよ、家に来た時もひどかったわよ」と話し始めた。なんでもその家の蔵に泥棒が入り、警察を呼んだが怖がって蔵の戸を開けることができず、その女性の陰に隠れて「奥さんが開けてください」と彼女に戸を開けさせたというのだ。幸い(と言っていいのか)犯人の姿はすでになく、危害を加えられることはなかったようだが、いったい何のための警察か…
警察は泥棒や置引きといった些細な事件にはあまり関心がないようだ。犯人を捕まえることより調書を丁寧に正確に書くことの方が重要らしい。しかし殺人などの大きな事件には熱心で、証拠をでっちあげて無実の人を犯人に仕立てたりもする。
所詮警察も人間の集まりなのだ。考え方、傾向がまったく違う人間がいてもおかしくはない。ある人は出世しなくてもいいから平和で安定した生活を求め、危険なことを極力回避しようとする。またある人は手柄を立てようと自白を強要し強引なやり方で犯人を作り上げ、冤罪を生む。問題が生じても警察は身内をかばってくれるので懲りることなくまた同じことを繰り返す。権力者にこびへつらって悪人を野放しにし、出世街道を突き進む人もいる。
しかし国民の血税で暮らしている以上、せめて正義をゆがめることだけはしてほしくない。そう思うのは私のわがままなのだろうか。