使いこみがとがめられない会社

人間

この業界では集金をする人間が店に入金せず使いこみをすることがたまにある。これを防ぐためには集金人から定期的に残っている領収書を回収して、未収のリストと領収書に印刷されているお客様の名前が一致しているかどうかをチェックする必要がある。リストにありながら領収書が存在しないなら、すでにお客様は支払って領収書を受け取っているのに集金人が店に入金していないことになる。このチェックをしていたのは店長だった。怪しいところがあれば集金人を問いつめ、使いこんでしまってすぐに入金できないとなれば給料から差し引くなどしなければならない。

しかし店長の領収書をチェックする人は誰もいなかった。彼を監督できる立場にある専務か経理の武田さんがやるべきだと思うのだが、二人とも店長の機嫌を損ねることはしたくない。店長は誰の干渉も受けないのをいいことに自分の領収書は決して人に見られないようにしていた。未収リストは毎月印刷してファイルに閉じてあるが、パソコンでいつでも見ることができた。ほかの人が集金していた時は毎月滞りなく入金されていたところが、店長に代ってからは数ヶ月未納になっているし、経営がきちんとしている数件のホテルが1年以上未納になっている。また過去数ヶ月の未納があるにもかかわらず最近のものは入金処理がされていて、奇妙な残り方をしているところも多い。これらをざっと合計してみると300万は下らない。

武田さんは「どう考えたっておかしいよね。あそこのホテルが臨時の小さい額を払って、もっと前のたまってるのを払わないわけないのに」と私には話すのだが当の店長には言わない。一度だけある月の分が大量に未収になっているのを指摘したが、店長が不機嫌になったのでそれ以上追及しなかった。私はちゃんと話した方がいいと武田さんに言ってみたが、「もう少し様子をみて、だめだったら社長に話す」ということだった。日頃は自分が社長であるかのように専務に命令し、副社長の奥さんの指示さえ無視する武田さんであったが、こういう時は平社員になって余計な口出しはできないというスタンスを取る。

しかし彼女は社長には話さなかった。社長は月に1、2回来るだけで実質的に経営には携わっていなかったが、不正は許さない人だった。こんなことを放置して、一体何をしていたのかと自分が叱られるのを恐れたのかもしれない。そのため社長ではなく、自分を決して咎めることのできない専務に話した。しかし専務も意気地のないことでは人後に落ちない。店長に向かって「これはどういうことですか」と問い正すことなど、とうていできそうもない。

この直後専務は大きい区域の集金業務を自ら引き受け、午前中から夜まで忙しく集金に回ることになった。普段の怠惰な働きぶりからは想像もつかないほど真面目にやっている。忙しくしていれば部下を監督するという、本来果たさねばならない責任から逃れられるとでも思っていたのだろうか。しばらくして武田さんが「店長に言ったの?」と聞いても「まだ」と答える。そしてため息をついて「言わなきゃだめだよな~」と情けない顔でつぶやく。不正をしている部下に遠慮して何も言えない上司がどこの世界にいるだろう。もし使いこみの額が100万ぐらいだったら、専務は代わりに払ったのではないかとさえ思える。専務にとってはその方が店長を問い正すよりよっぽど楽だっただろう。何でもかんでも副社長に相談する専務だが、さすがに本人に注意すらしていないのに副社長に報告するわけにもいかない。しかし自分が報告する前に情報が洩れて副社長がこれを知ってしまったら、どれだけ叱責されるかわからない。こちらの方がはるかに恐ろしい。

激しい葛藤のすえ、久木田専務は観念して店長とこの件で話をした。武田さんから聞いたところによると、すぐに全額を入金することはできないので分割で払うことになったらしい。その後の店長の様子を見る限り、申し訳なさそうな感じは全く見られなかった。相変わらず態度が大きく、専務とも普段通りに話している。良心に何の咎めもない人間だけが持つことのできる屈託のない朗らかさで。こんな様子を見ていると、専務はいったいどんな話し方をしたのだろうかと気になる。専務のことだからおそらく厳しい態度などではなく、どっちが悪いのかわからないぐらい低姿勢で話しを切り出したのだろう。
「本当に申し訳ないんだけど、払ってもらえないでしょうか?」
「全額はきついな。半分ぐらいなら何とかなるけど」
「無理なら半分でもかまいません。もちろん分割でちょっとずつ入れてもらえばいいんです」
「そう? じゃ、半分ってことで」
「本当ですか? ありがとうございます!」
といった感じだろうか。店長は自分が店を辞めたら退職金としてスイフトをくれないかなとうそぶいていたから、会社に迷惑をかけたという意識はなさそうだ。それどころか少しでも多くをもらうことに相変わらず執着している。私はこのあとしばらくして退職したので店長がどれだけ返金したのかは知らない。果たして全額を返しただろうか。たとえそうでなかったとしても事なかれ主義の専務が社長や副社長にばれないよう、うまく処理したに違いない。

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