女の三角関係 in 職場

人間

 武田さんは一応安部さんとの関係を修復したが、安部さんの人柄を知ってしまった後では以前のような屈託のない関係に戻ることはなかった。表面的には楽しそうにしゃべっても、安部さんがいなくなれば「ねえ、今のどう思う?」と声をひそめて安部さんの言動についてあれこれ私に振ってきた。安部さんはもはや粗探しの対象でしかない。今や安部さんより私の方を信頼しているようだったが、だからといって私に対する警戒心がないわけではなかった。

 ある時武田さんは専務から受けた指示に憤懣やるかたないといった感じで、「久木田さん、それを毎月やれって私に言うのよ! そんな細かいことやってたらいつまでたっても仕事が終わらないわよ! 誰がそんなことやるって言うのよ! ねえ、そう思わない?」と興奮状態で私に同意を求めてきた。その仕事というのは私が前の職場でいつもやっていたことで、私にとっては別に苦でもなく当たり前のことだったので「そんなに大変なら私がやりましょうか?」と聞いてみた。私の仕事は少なく、電話がかかってこなければ暇だったので、一人で仕事を抱えている武田さんの負担が減ってちょうどいいだろうと思って言ったのだが、武田さんは急に静かになり、しばらく沈黙した後「やっぱり私がやる」と言って何事もなかったかのように仕事に戻った。理不尽とさえ思えるいやな仕事でも私に取られるよりはマシなのだろうか。

 こんなこともあった。集金パートの女性が武田さんの家の近くにあるケーキ屋さんの話をし、「あの店時々行くんだけど駐車場はないの?」と武田さんに聞いた。武田さんは「ないのよ。でもちょっとの時間だからお店の前に停めても大丈夫よ」と答える。しかし私は近所のNさんから駐車場の場所を聞いて知っていたので「お店の右に月ぎめ駐車場があるでしょ? あそこの一番手前が…」と説明を始めると武田さんは声を荒げてさえぎった。「あそこは車通りが少ないからお店の前に停めても全然邪魔にならないのよ! 駐車場に止める必要なんかないわよ!」ピリピリした空気を一掃しようと集金パートさんは話題を変え、私も机に向き直って仕事の手を動かした。地元の自分が知らなかったことを他所から来た私が知っている。それは武田さんにとって許せることではなかった。

 もっとひどかったのは配達のアルバイトさんが事務所に来て、武田さんの書いた連絡メモが間違っていたと苦情を言った時だ。苦情だけ言って出て行けばまだよかったのだが、彼は私が書いたものは分かりやすい、こういうふうに書いてくれと余計なことを言ってしまった。この時の武田さんの怒りはすさまじく、店長が必死でなだめていたがしばらく興奮は治まらなかった。武田さんはミスを指摘されると怒り出すが、私と比較された時はそれ以上の反応を示す。店長はこれを「発狂」と呼んでいた。

 結局武田さんにとって私は油断のならない敵なのだ。おしゃべりの相手がほしいから私と仲良くしていても、うわべだけの関係にすぎない。だから些細なことで喧嘩になる。というより一方的に腹を立てる。

 私も武田さんも韓国ドラマ、特に時代劇が好きである。だからよくドラマが話題になるのだが、私が「韓国の王様って弱いよね。王様なのになんであんなに臣下のいいなりなの?」と言ったら、なぜか武田さんの機嫌が悪くなった。さらにヨーロッパの王権と比べたりすると本気で怒り出したので武田さんは韓国の王族の子孫なのかと思ったほどだ。そのほかにも韓国ドラマのことで何度も武田さんの逆鱗に触れてしまったので、私はうんざりして(もうドラマの話は絶対しない)と心に決めたのだが、時間が経つと武田さんは懲りずにまたドラマの話をするのだった。

 またある時、私はマリア・テレジアが16人子供を産んだと話したら、武田さんは「そんなことありえない!」と、私を嘘つきの泥棒のようににらみつけ、私が説明しようとするとさえぎって大声で否定しまくり、怒りが収まらない時にいつもやるように事務所のドアを勢いよく閉め、喫煙所に向かった。彼女は私が言うことは信じないがテレビで言われたことは信じる。数か月後テレビの番組でマリア・テレジアを取り上げたらしく、彼女は翌日「ヨーロッパの女王で16人子供を産んだ人がいたんだって」と私に説明した。どうやらこれが原因となった私とのいざこざは完全に忘れているらしい。私が「それ、前に私が話したじゃない。そしたら武田さん、そんなことありえないってすごく怒ってたじゃない」と詰め寄ると、彼女は「アーハッハハ」と笑いだし、おかしくて話ができないという感じでしばらくずっと笑い続けていたので私は彼女から一言の弁解も聞くことはできなかった。

 こんなふうに非常につまらないことで武田さんは機嫌が悪くなり、彼女が怒りを鎮めるために喫煙所に向かうと、安部さんがすかさず後を追って長いこと話を聞いていた。たぶん武田さんに合わせて私の悪口を言っているのだろう。私は謝る理由も見つからないし、他の人達のように武田さんをなだめることもできないので、いったん武田さんのご機嫌を損ねると長い時は2週間ぐらい冷戦状態が続いた。この間安部さんは水を得た魚のように生き生きしている。いつもより頻繁に事務所に入って来て「ねえ、聞いてよ」と、さほど目新しくもない話題をビッグニュースのようにしゃべり始める。話し相手がいなくなった武田さんはこれに応じ、以前のように親し気におしゃべりに興じる。

 武田さんが銀行に行って留守の間は安部さんは私の隣に座り「あなたも大変だよね。ああいう人といつも一緒だと苦労するでしょ? ほんと、よくやってるよね。感心するよ」と味方のふりをして私の警戒心を解こうとする。そして「武田さんも変わったよね。前はあなたのこと大っ嫌いだったのにね。あなたの悪口すごかったよ」と「大嫌い」を思い切り強調して言った。私はそんなことは言われなくても簡単に想像がつくので軽く「そうでしょうね」とだけ答えた。すると安倍さんは横目でちらりと私を見て「何て言ったか教えてあげようか?」とささやく。彼女はどうやら私と武田さんが決定的に仲たがいすることを望んでいるようだ。武田さんは私と険悪な関係になれば再び安部さんと仲良くなるからだ。

 私も武田さんも頑固なのでお互い歩み寄ることをせず、確執は長く続いた。仲直りは大抵武田さんの仕事が立てこんで忙しくなった時に私が助け舟を出したことがきっかけになった。武田さんは決してありがとうとは言わないが、以前のように私に話しかけ、5分もするとここ数日間の憂さを晴らすようにハイテンションになり、昭和の歌謡曲を口ずさんだ。とてもわかりやすい性格だ。欠点も少し、いやかなりあるが憎めない人だった。武田さんのテンションが上がると同時に安部さんのそれは下がり、事務所に入る回数はまた減った。

 そのころから武田さんは折に触れて安部さんの話はいい加減だと言うようになり、「安部さんの話は信じちゃだめだよ」と私に言った。安部さんの性格がわかってきたので以前さんざん言った私の悪口を安部さんが私に暴露するのではないかと心配しているみたいだ。職場では敵と味方が入れ替わることもあるので、悪口は言わないに越したことはない。

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