地方の会社ってこんなもの?

人間

 田舎の職探しは大変である。私が希望する事務職は募集している会社が非常に少なく、山を越えて他市に行けば少しはあるものの、雇う側は天候によって出社するのが難しくなりそうな地域の人間は最初から雇う気はない。一応面接は受けさせてくれるものの断られるケースが大半だとハローワークでも教えられた。

 しかし面接を受けるなどの行動がないと失業認定が受けられないので、だめもとで他市の総合病院の経理事務に応募してみた。面接ではここまで来るのに何分かかったか、雪が降ったら出社できるかなどを聞かれた。私は雪でも必ず出社すること、所要時間については途中で実家に寄ってから来たので正確には分からないが、たぶん45分ぐらいだと思うと答えた。数日後電話があり、もう一度来てほしいというので行ってみた。するとまた「今日は何分かかりましたか」と聞かれた。私が45分だと答えると渋い顔をされ、40分以内の人しか雇えないことになっていると言われた。最初からあまり期待はしていなかったのでがっかりもしなかったが、田舎に移住するのは退職して年金をもらえるようになってからでないとだめだとつくづく実感した。

 そんな状況だったので、市内で週3日の事務パートの職にありついたのはありがたいことだった。収入は少ないが無収入よりはマシだった。節約すれば何とか暮らせるだろう。

 新しい職場は宅配業を営む中小企業で、社長は東京や神奈川にも店舗を持っており、私が勤めることになった店を2ヶ月前に買い取り、引き継いだばかりだった。横浜の店からやってきた専務は元からいた従業員にいろいろ聞きながら手探り状態でやっているという感じだった。経営者が変わる前に事務をしていたのは私と同い年だったという前社長の律子さんとその母親、私より8歳上の安部恵子さんという事務員だったが、律子さんと母親は引退していなくなり、経営者交代に伴い全ての業務をパソコンで管理するようになったため、パソコンが全くできない安部さんの仕事はグッと減り、代わりに週3日だけ来ていた経理の武田玲子さんが毎日来るようになって、業務のほとんどを引き受けることになった。武田さんの一気に増えた負担を減らすために私が雇われたのだった。

 初出社の日は武田さんが休みだったので、初めて彼女と顔を合わせたのは翌日だった。武田さんは私より7つ上だと聞いていたが、華やかな雰囲気で実年齢より若く見えた。少し太り気味だが、若い頃は美人だったと思う。私と違って髪はきちんとセットされ、流行の服を着こなしている。

 いやな予感がした。以前勤めていた会社の会長夫人がやはりおしゃれで身なりにスキがない人だったが人間的に非常に幼く、私は何度も不快な思いをさせられたあげく解雇されたのだった。外見を重視する人イコール内面がおろそかというわけではないが、なぜか不安がよぎる。こういう時の私の直感は当たることが多い。

 専務が「昨日から来てもらっている佐知さんです」と私を紹介してくれたのだが、彼女は私を一瞬ちらりと見ただけで、私が「よろしくお願いします」と頭を下げてもそっぽを向いたままで「ああ、よろしく」と気がなさそうに一言だけ言って、すぐにほかの人とおしゃべりを始めた。初対面でこのような態度を取る人は初めてだったので驚いたが、この時の挨拶はまだマシな方だったのだ。

 その後何年もの間、私が「おはようございます」と挨拶しても無視することは日常茶飯事だった。朝からこれだと非常に気分が悪い。しかしそれは私に対してだけではなく、専務に対しても同様だった。専務が武田さんに「おはようございます」と言っても武田さんは無視。ムッとした専務はもう一度「おはようございます」と言うがまたもや無視。少しキレた専務が武田さんの顔を覗き込むように睨んで「おはようございます!」と声を張り上げると、やっと小声でボソッと「おはようございます」と返す。武田さんは安部さんと同様、その店に20年近くいる古株で、一方専務は来たばかりでしかも年下だったので、上司であるはずの専務を部下のように扱っていた。そもそも専務のことを「専務」と呼んだことは一度もなく、いつも「久木田さん」と名前で呼ぶ。私は違和感を覚えながらも、武田さんや安部さんと違う呼び方をすることもできないので、ずっと名前で呼ばざるを得なかった。

 武田さんが専務に用がある時は「久木田さん!久木田さん!」と大声で呼び、自分の前に来させる。そして「頼みがある」と言って用事を言いつけるのだ。最初の頃、専務はそんな彼女の態度に不快感を表していたが、彼女は人が自分の思い通りに動かないとヒステリーを起こし、何日も機嫌が悪くなるので、抵抗するのを諦めたようだ。やがて命令される事に慣れ、彼女の下僕に成り下がってしまった。

 彼女の命令には私的な用事も多かった。レンタルしたDVDを返却するとかお昼を買ってくるとかアイスを買ってくるとか… 下僕と化した専務はもはや抵抗もせず、嬉々として女王様のご命令に従っていた。彼女は自分が見下している人間にはお礼や謝罪の言葉を言わないので、専務が自腹でアイスを買ってきても「ごちそうさまです」と言ったことは一度もなく、「へんな味」などの感想を述べるだけである。私は何度か韓国ドラマのDVDを彼女に貸したが、内容がお気に召さなかったものについては、やはり礼の言葉はない。返す時、「そこに置いといたから」と机の上を顎で示す。まあ別にいいんだけど…

※ここに出てくる名前は全て仮名である。

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