大学を卒業してから埼玉でずっと一人暮らしをしていたが、近くに引っ越してきてほしいという両親の要請により伊豆に移住した。もともと田舎好きの私には自然に恵まれた環境は好ましくはあったが、職探しでは非常に苦労した。ホテルや旅館の仲居や清掃の仕事は多いが、私が希望する事務の正社員を募集している会社が非常に少なく、あっても極端に給料が安かったり夜勤があったりで折り合いがつかないのだ。
それでもいつまでも失業給付金が出るわけではないので、いい加減どこかに決めなければならない。頻繁に社員を募集している会社があり、たぶん何か問題があって従業員がすぐに辞めてしまうのだろうと思っていたが、選り好みなどしていられる状況ではなかったので、ハローワークの紹介で面接を受けに行った。製造業をやっている小さい会社で、仕事内容はそれほど難しくなさそうだし、面接した専務(社長の息子)と部長(専務の姉)は友好的でとても感じが良かったので、とりあえずそこで働くことにした。
しかし働き始めると部長の態度が一変した。面接の時はニコニコして低姿勢だったのが、別人のように冷たい表情で高圧的な言い方をするようになった。それは私に対してだけでなく、全ての従業員に対しても同様だったので、もともとそういう人だったのだろう。
最初の頃はこの会社に特に大きな問題があるようには見えなかった。バツイチで出戻りだという部長の態度は気に入らなかったが、こんな人はどこにでもいるし、仕事さえきっちりやっていればいやな思いはしなくてもすむはずだ。しかしわりとどうでもいいような些細な不便が非常に多く、何とも働きづらい職場だった。
ここでは出社したらまずロッカーに荷物を入れ、筆箱だけ持って事務所に入る(この会社は筆記用具持参なのだ)。そして決まった机というものがないので、朝指示された机でその日一日仕事をすることになる。帳簿を付ける時だったと思うが、赤いボールペンと青いボールペンを使って色分けしなければならないことがあった。私は黒と赤のボールペンしか持ってきていなかったので部長が青を貸してくれたが、「ありがとうございました」と言って部長にボールペンを返すと、冷たく「明日は忘れずに持ってきてください」と言われた。こんなことを言われたのは初めてだった。筆記用具持参の会社ってほかにあるのだろうか。
それからバッグをロッカーに入れて事務所に入らなければならないというのに、事務所にはティッシュというものがない。突然クシャミが出て鼻水が垂れたらどうしたらいいのだろうと不安になった。
10時と3時にコーヒーが出されたが、小さいカップに1杯だけ。喉がかわいても我慢しなければならない。そして事務所を出る時は必ずどこに行くのか報告しなければならないので、トイレに行くのは昼休みか、別の用で出たついでに行くしかなかった。しかしこのトイレも不便な場所にあった。事務所は2階にあったが、女子トイレはその向かいにある別の建物の2階だった。そのため一度階段を下りて道路を渡り、向いの建物に行くのだが、こちらの建物は1階でスリッパに履き替えねばならず、歩きづらいスリッパで急な階段を上り、やっとトイレに到着する。しかしトイレ内で手を洗うことはできるが、濡れた手をふくタオルもペーパーもない。ポケットのある服でなければハンカチを身につけることもできないので、どうしたものかと悩む。洋服で拭くかビチョビチョのまま自然乾燥させるか… どちらもいやだったので私はトイレでは手を洗わず、さらに奥の流しまで行ってそこで洗った。流しの横にはタオルが掛けてあるのだ。
やりづらいのは事務所に人が出入りするたびに全員が「お疲れ様です」を言わなければならないことだった。挨拶はとても大切なことだとは思う。しかしやりすぎは仕事に支障をきたす。電話を受けている時はさすがに免除されるが、電卓をバチバチ叩いている時でも言わなければならないのだ。倉庫の整理で事務所と隣の倉庫を何度も行き来している時もご丁寧に毎回「お疲れ様です」と言われるのは、かなりうっとうしかった。1分間の間に何度も言ったり言われたりで仕事に集中できない人もいるはずだ。
専務の奥さんは優しくおっとりした人で、わからないことはとっつきづらい部長ではなく、専務の奥さんに聞くことが多かった。この奥さんは義理の姉である部長に気を使いながらもかなり不満に思っているのが言葉の端々にあらわれ、それでいっそう親近感を感じるようになった。
しかし請求書の封筒に切手を貼る時、私がスポンジを水に浸そうとしたら彼女が「そんな面倒くさいことしないで、舐めて貼って」と言ったのには驚いた。そんな汚い事できるか! 彼女はなんとなく“味方“のような気がして頼りにしていたが、やはりあの変な一族の人間だ。何を言い出すかわからない。
地方なのでほとんどの従業員は車で通勤する。会社は近くに駐車場を借りていたが、6台分の駐車場になんと9台の車を停めさせていた。会社には営業や事務だけでなく、工場で働く女性パートもいて出退勤時間がまちまちだったので、早く出社して退社が遅い人は奥に、その逆の人は手前に、中間の人は真ん中の列にという具合で、ぎゅうぎゅうに駐車していた。しかしこれでは何かあっても中抜けすることができない。私は埼玉で働いていた頃、福千代が外に出たままで出勤しなければならなかった時など、昼にいったん帰宅することがあったが、ここではそれはできそうもない。
働き始めて1週間が過ぎた頃、この会社で働き続けることに不安を感じた。すごく嫌なことがあるわけではない。しかしやりづらいと思うことがあまりにもたくさんあるのだ。慣れれば気にならなくなるかと思っていたが、ある日辞めた従業員の父親という人から専務に電話がかかってきた。どうやら1日だけ出社して辞めた営業の若い男性が、1日分の給料をもらえなかったことを親に話したら親が怒って電話をしてきたようだった。専務は声を荒げてかなり品のない話し方で応対している。この時この会社が頻繁に社員を募集していた理由がわかった。たとえ1日でも働いた分は給料を払わなければならない。それがわからない人達が会社を仕切っているのだ。先代社長が亡くなった後は先代の奥様が社長になったらしいが、どうも名ばかりの社長で、実際に会社を運営しているのは専務と部長のようだった。一度だけお会いして挨拶した社長は気さくで優しいお母さんという印象だったが、おそらく息子や娘のワンマンも従業員の不満も、何も知らないのだろう。
辞めるなら早いに越したことはないと、本能が告げた。でなければタダ働きの期間が増えるだけだ。まだ試用期間だから今のうちだと思い、専務に辞意を伝えた。理由を聞かれたが、とても一言では言えなかったので、ただ「申し訳ありません」と謝った。「たった1週間でウチの何がわかる⁉」と専務はブチ切れたが、たった1週間でこれだけ問題が露呈したのだから、あと1ヶ月もいれば絶対に続けられないと思える要因がボロボロ出てくることだろう。
案の定1週間分の給料は出なかった。要求すればもらえたかもしれないが、二度と関わりたくなかったので電話で問い合わせることもしなかった。ハローワーク通いがまた始まった。