田辺店長は最初とても親しみやすく感じのいい人に思えたが、次第にボロが出てきた。嘘つきで強欲、飽きっぽい性格で何事も長続きしない。弱い者いじめが好きで本人にはどうにもできない肉体的な欠点を揶揄するなどのいやな所もある。そして自分のことを棚に上げて人を批判する傾向が強い。彼は飲みに行くのが大好きで、よくお気に入りのメンバー数人を引き連れて朝まで飲んだくれていたが、そのくせ専務が飲みに行く相手は偏っている、それではいけない、すべての従業員と公平に接しなければと批判している。また集金に携わっている従業員が数十万の使い込みをしているのが発覚すると厳しく叱責し、「ああいうヤツは集金から外さないとだめですよ」と専務に進言する。確かに店長という責任者の立場ではそうするのが筋ではあるが、店長本人も数百万の使い込みをしているのである。それなのに同罪の人間を「あいつ、ほんとどうしようもねえな」などと言い放つ姿を見ると、店長はもしかしたら記憶喪失にでもなってしまって自分がやったことを忘れてしまったのではないかと思ってしまう。
そのようなわけで武田さんの嫉妬を避けるためだけでなく、店長の人柄に大いに疑問を抱くことになったので、私は徐々に店長とは距離を置くようになった。武田さんは店長と気が合うようで結構親密だったが、それでも店長のいない所では彼の悪口を頻繁に口に出し、店長も武田さんに対する不満をよく漏らしていた。私と武田さんと店長3人の時は専務や安部さんの悪口を言い、私と武田さんと安部さん3人の時は専務や店長の悪口を言った。私と安部さんの2人の時は武田さんの悪口を、私と武田さん2人の時は残り3人の悪口を言い合っていた。私がいない所ではきっと私の悪口で盛り上がっていたことだろう。久木田専務だけは誰の悪口もあまり言わなかった。
このように年がら年中陰で互いの悪口を言う職場は私の経験する限り、首都圏ではなかった。たまたま私の場合がそうだっただけかもしれないが、地方に来てから人間のドス黒さを味わい知ることとなった。都会の人の方が純粋で優しいのだろうか。不可解なのは皆お互いを良く思っていないのに仲の良いふりをし、それぞれの誕生日にプレゼントを贈り合うことだった。
この風習は横浜の店が発祥らしく、店の経営者が変わった最初の年から武田さんと安部さんの誕生日には横浜にいる副社長の奥さんから宅急便でプレゼントが届き、専務も彼女たちに生花を贈っていた。福利厚生として会社から一方的に贈られるなら問題はないが、武田さんと安部さんは個人からもらったと考え、副社長の奥さんや専務の誕生日にはお返しをしていた。店長が来てからは店長も、私が正社員になってからは私もこれに加わることとなった。
武田さんは元々人にプレゼントするのが好きで、しかも高給をもらっていたからそれほど苦でもなかったようだが、私の場合給料は安いし何を贈ればいいのかわからなかったので、かなりしんどかった。専務は私達事務員には花を贈ると決めていたので花屋に注文しておけばよかったが、専務以外の人達は毎年誰に何を贈るべきか非常に悩んでいた。
私が専務に卓上の名刺入れを贈った年、偶然武田さんと安部さんもそれぞれ携帯用の名刺入れを贈っていた。専務は私たちに気を使って3つとも全部を使わなければならなかったので、机の上に私が送った名刺入れを置き、武田さんと安部さんのは日替わりで携帯していたようである。ご苦労なことだ。
安部さんの誕生日が近づくと店長も武田さんも「あー どうしよう!」と頭を抱えていた。安部さんは人に調子を合わせてばかりいて本当は何が好きなのか誰にもわからないからだ。店長は誕生日当日ではなく1ヶ月ぐらい遅れて渡すことも珍しくなかった。「忙しくて買いに行く時間がなかった」と毎回言い訳していたが、誕生日は突然決まったわけではない。忙しくなる前に買っておけば間に合うはずである。いやいや贈っているということがバレバレである。
私も毎年誰かの誕生日が近づくたびに憂鬱になった。何を贈ればいいのか決まるまで相当な時間を要した。私が住んでいる地域ではプレゼントが買える店などほとんどないのでネットで買うしかないのだが、ほとんど義務化している行事のためにプライベートの貴重な時間を割くのもいやになり、私も武田さんもプレゼント選びは仕事中に行った。しかし苦労して選んだものでも相手の気に入らなければ何の意味もない。贈った時の反応を見るかぎり、おそらく互いに贈りあったもののうち半分は喜ばれず、使用されることもなかったと思う。武田さんが私に贈ってくれた最初の頃のプレゼントは数ヶ月で処分した。武田さんの傲慢な態度、私に対する敵意丸出しの言動にブチ切れた時にメチャクチャに壊したからである。私が武田さんに贈ったものも同様の運命をたどったかもしれない。
武田さんの誕生日を安部さんが忘れていた時があり、安部さんは仕事中近くの花屋で花束を買ってきて渡したが、私と二人だけになった時、しんどそうに「もうやめようよ、こんなこと」とつぶやいた。私もやめたかったがこういうことは一度始めてしまうとなかなかやめることはできない。退職するまで続くのだ。
中島主任のパソコン作業が増えて事務所に長時間いるようになると、武田さんは中島主任にも誕生日プレゼントを贈るようになった。私はこれ以上苦労を増やすつもりは毛頭なかったので贈らなかったが、中島主任は武田さんの誕生日にお返しをしなければならなくなった。彼も毎年プレゼント選びは悩んでいるようだった。ある時やはり困惑した表情で「もうやめましょうよ~ こんなこと」と弱音を吐いた。
私は山の家を売りに出して借家住まいを始めた時、これから毎月家賃を払わなければならないのでプレゼントを買う余裕はなく、この慣行をやめさせてもらう旨を専務に告げた。専務は了承した。了承しただけだった。私がこれまで色々とアイデアを出し、仕事の効率をあげ、店に貢献しても安い給料のまま、武田さんには私の倍ぐらいの給料を払い、仕事嫌いでサボってばかりの安部さんにも私以上の給料を払い続けているのに、私の窮状を聞いても給料を上げようという気は全くなさそうだ。仕方ない。鈍感で判断力が恐ろしく欠如している専務に何かを期待するのは間違っている。とにかく無駄な出費と時間の浪費から解放されたことにはホッとした。
それから間もなく、毎年横浜からプレゼントを贈ってきた副社長の奥さんが副社長と離婚し、仕事を辞めることになった。これを機に専務が「誕生日のプレゼントやめない?」と武田さんに提案したが、プレゼントを贈るのが好きな武田さんはこれを却下。「なんで? 私はやめないわよ」
この一言で皆の悩みは継続することとなった。専務が武田さんに逆らえるはずもない。私はさっさと辞退してよかったとつくづく思った。